
上から読んでも下から読んでも館田館…ごめんなさい。


『天正年間(1573~)の初め、大光寺城の外城として築かれた掻上式の平城で、西方堀越城監視のための館であったが、相当の抵抗力を持つ規模広大なものであった。大光寺城の重臣千葉与四郎を守将として配したが、大光寺城落城後、大浦方の舘山彦四郎が一時居館したという。』

掻上城(掻揚城)は土を掻き揚げただけの城のことです。堀を掘って、その土を盛りあげて土居を築いた堀と土居だけで成る城。

天正2年(1574)頃に滝本重行(大光寺城主)によって築城されたと伝えます。

遺構については特にわかりませんでした。標柱は県道41号線、館田駅と館田八幡宮の間くらいにあります。


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