
案内板より…
薬師坂(薬師寺坂、浄雲寺坂、白山坂)
妙清寺に薬師堂有之候に付、里俗に薬師坂と相唱申候」(『御府内備考』)坂上の妙清寺に薬師堂があったので、薬師坂と名づけられた。また、坂下に浄雲院心光寺があったので、浄雲寺坂とも呼ばれた。また近くに白山神社があり、旧町名が白山前町で、白山坂ともいわれるなど、別名の多い坂の一つである。

『新撰東京名所図会』には、「薬師堂は、土蔵造一間半四面。「め」の字の奉額、眼病全快者連名の横額あり」、と明治末年の姿を記している。

このお薬師は特に眼病に霊験あらたかであったようである。土蔵造は、江戸の防火建築で、湯島本郷辺の町屋が土蔵塗屋づくりを命じられたのは、享保15年(1730)の大火後である。現存するものに無縁坂の講安寺本堂がある。

「旧町名案内 白山前町」より。
古くは小石川村に属した。元禄12年(1699)に町屋を開いた。町名は、白山権現社(白山神社)の境内の前通りにあったので名づけられた。

明治2年、白山表門前、白山社裏門前、小石川数寄屋町、妙清寺・常検寺及び浄心寺門前を併せた。さらに、明治5年には上駒込村飛地、鶏声ヶ窪を併せた。

白山神社は、初め、天暦2年(948)加賀の国の一の宮白山神社を、旧本郷元町に祭ったのに始まる。のち現在の小石川植物園の地に移ったが、明暦元年(1655)に白山御殿の造営のため、現在地に移った、それで5代将軍綱吉とその生母桂昌院の信仰を受け大いに栄えた。白山神社の門前町として、この町は発展した。

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