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一説によると不忍池の名は、かつて上野台地と本郷台地の間の地名が忍ヶ丘と呼ばれていたことに由来。縄文時代には東京湾の入り江に位置し、海岸線の後退と共に取り残された天然池です。
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1625年、江戸幕府は西の比叡山延暦寺に対応させてこの地に寛永寺を建立。開祖である慈眼大師・天海は、不忍池を琵琶湖に見立て、竹生島になぞらえ弁天島(中之島)を築かせ、そこに弁天堂を作りました。
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本尊の八臂大弁財天は竹生島の宝厳寺より勧請。
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当初の弁天島は文字通り船で渡る島でしたが、1672年に弁天島から東に向かって石橋が架けられ徒歩で渡れるようになります。
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明治初期までは池の形は現在と大きく異なり、池の北側は現在よりもかなり広く、藍染川(谷田川)という川も注いでいました。1884年に共同競馬会社による競馬場の建設に伴い埋め立てが行われて現在の形になります。池を周回する形で競馬場が作られたんですね。
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1929年に築堤工事により池が4つに分割されます。また、戦後の一時期は水が抜かれて水田(不忍田圃)となりました。
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宝暦十年(1760)庚辰三月吉祥と刻む石燈籠。
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本堂は八角形。
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現在の堂宇は1958年に再建されたもの。
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徳川家祈願寺寛永寺境内である中島に豊太閤護持の大黒天堂。
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実は最も歴史が古いと言われる聖天島。古地図のひょうたん形の小さな島の部分。
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現在は立入禁止の島ですが柵からでもある程度見学ができます。
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聖天島は観光客からも見逃されがちですが、かなり有名な(怪しげな?18禁w)髭地蔵(役小角)と呼ばれる石像もあって面白いですよ。
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さて、辯天堂境内にはかなり多くの碑が建立されています。その一部を紹介します。
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不忍池由来碑。
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魚塚。
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扇塚。
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包丁塚。
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いと塚・鳥塚。
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スッポン感謝之塔。
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琵琶の碑。
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芭蕉翁の碑。
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十二世世杵屋六三郎讃碑。
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幕末之剣豪櫛淵虚冲軒之碑。
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八橋検校顕彰碑。
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ふぐ供養の碑。
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めがね之碑。
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徳川家康が愛用した眼鏡をかたどっています。余談ですが日本で現存する最古の眼鏡は静岡県の久能山東照宮博物館にあり、徳川家康の愛用眼鏡らしいです。
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利行碑。
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放浪の画家・日本のゴッホ長谷川利行の経歴が書かれています。
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他にも暦塚など色々あります。さてと、池之端藪蕎麦で蕎麦食べて帰りますかー。
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