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参道から最初の鳥居まで距離があり、その間にいくつかの石碑があります。
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場所は江戸期の津軽野村。
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文化14年(1817)に津賀野村に改称されています。
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しかしながら天明5年(1785)にこの地を訪れた菅江真澄は「川ひとつわたりて百田邑を過て、名をよぶ津軽野に出たり。いまはつがのといひ、村あり、つが野邑といへり」と記しており、当時すでに「つがのむら」と称していたとも考えられます。
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一方、天保郷帳や旧高旧領、明治初年の国誌でも改称前の津軽野村と記されており詳細は不明。枝村に百田邑がありましたが享保11年(1726)に分村しております。
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御道書明細によりますと、三ケ月の加茂宮と神明宮があり、両宮の社司はともに藤井大和。
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三ケ月の加茂宮は現在地内宮崎にある三日月神社を指します。
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御祭神は月読命、別雷命。
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延暦8年坂上田村麻呂の創建と伝えますが詳細年月は不明。
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藤崎城主阿部高星丸が厚く崇敬して祈願所としています。
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弘長年間、北條時頼公巡国の際、当神社の近傍萩の花咲乱れるをみて 「みちのくの津軽の野辺の花ざかりげに日の本の錦なるらん」 と詠まれました。 
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天正年間、藤崎城主藤崎五郎相継ぎて崇敬。城が取り壊された後は村の産土社に。明治9年に村社。
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拝殿の屋根が独特。
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本殿。
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本殿前にも狛犬。
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招魂社。
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末社。
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庚申塔など。
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