
御祭神は菅原道真朝臣命・文殊菩薩。

代々大行院の代神として祀っていた御神体と種里にあった大浦家の先祖が祀っていた舘神です。

慶長15年信枚公の時に弘前城に移し、天神様と称し、その後信政公の命に依り植田村橋雲寺に移した天神様を明治4年に再びこの天満宮に移し祀った御神体を併せ祀っています。

2度目の記事なので由緒等詳細は以前の記事を参照してください。



卯年一代守護神です。

狛犬。


拝殿。




本殿。


千葉山月句碑。江戸時代後期の弘前藩士で俳人でもある千葉胤任は艸々庵山月と号しました。三谷句仏の高弟で明治期の弘前俳壇の第一人者。「大洋に月一輪やほととぎす」(明治33年)。

増田手古奈句碑。昭和52年5月建立。
「どこからも 岩木山見え 花りんご」

平尾魯仙翁碑と鶴谷有節翁碑。

芭蕉翁碑(明治24年艸々庵社裡外有志建立)。

芭蕉句碑(天保14年・150回忌・明治24年艸々庵社裡外有志建立)「しばらくは花のうへなる月夜かな」

芭蕉句碑(寛政5年建立)「春のよは桜に明けてしまひけり」と蘆弾草坡(内海草坡)翁碑(裏には「ほととぎす夜の霞の天の川」天保11年)。蘆弾草坡は五所川原生まれで弘前の酒造店内海家の養子。碑は草坡の3周忌に門人によって建立されたもので、大正4年までは弘前中学(現弘前高校)の校庭にあったものです。

田中素永先生碑。

片谷呉江句碑(享和2年初秋)「野の末や川に柳に遠霞」。片谷呉江は東長町の弘前随一の豪商。

末社稲荷神社。御祭神は倉稲魂命。

平成15年に津軽ダム建設のために西目屋村砂子瀬鎮座の稲荷神社、同村川原平鎮座の稲荷神社を合祀しました。

ちなみに砂子瀬の稲荷神社は創建が文化年間。明治6年鹿嶋神社に合祀しており、同年2月復社、同9年12月村社に列格。

境内地500坪・本殿1坪・拝殿20坪。

末社若木神社。

御祭神は少彦名神・若木神。

コメント