水虎様考察記事の前に、私が水虎様に興味を持ったきっかけ(話の流れでたまたま冊子のコピーを頂きました)である青森県農林部農村計画課の『水虎様への旅~農業土木文化の時空』について少し述べたいと思います。

この冊子には水虎様に限らず、県内の河童にまつわる伝承等について非常に詳しく書かれています。例えばメドツの正体(ミヅチ・メドチ・美豆知・水神・水主)、県内の河童目撃場所、水虎様の祀り方や年代、水虎様の分布図等々。また、水虎様と水神様を区別せずに扱っています(※十和田様、水天宮も若干含む)。最終的に水虎様が結局のところ何であるかの明確な回答にまでは至っていないようですが、様々な推測なされており非常に面白い文献です。興味のある方は図書館等でご覧になってください。

個人的に興味のあるポイントについて要約し、箇条書きしておきたいと思います。※写真と内容は無関係です。

◎渋沢敬三氏の東北犬歩当棒録に立体像ではないが肩膝を折った姿(仏像の半跏思惟像)の水虎様が掲載されており、また、渋沢氏は車力村で男女の水虎様に出会っている。なお、渋沢公園には小川原湖民俗博物館とともに河童資料を収集した渋沢文化会館があり、数々の人形や木造の水虎様の祭礼を記録したビデオ等が展示されている。

◎八戸市櫛引ではメドツは天王様(牛頭天王)の子で年神様の兄。年神様は末っ子でわがままなので正月しか拝まれず、メドツはずるいので天王様に叱られて川に投げられ、川に棲み付いた。
◎水虎様については様々な文献があるがすべて簡潔なものにとどまっている。最もまとまった報告書は河上一雄氏のもので、その成果は「津軽の民俗」(和歌森太郎編)の一章にある。岩木川の沖積平野を中心に水神信仰が元々盛んであり、その背景から明治期に河童が神格化され、水虎信仰となり民間宗教者カミサマとの関係から伝播・維持されてきたとしている。水虎様には48人の家来があり、それは河童で、水虎様に位を上げてもらうために人を取る。水虎様は竜宮様の使いの者。水虎様は水神様(河童)の親。水虎様は水神様などなど。

◎五所川原では御神体が河童の形なら水虎様、そうじゃなければ水神様。木造などでは形態にかかわらず水虎様。
◎御神体のタイプは『河童型』、『女神型』、『石版刻字型』に分類。
◎水虎様は岩木川左岸地域を中心に分布し、名前の系として「水虎大明神(木造のみ)」、「仙虎大明神」、「水講神社」、「水魂神社」、「水虎神社」、「水虎大神」がある。またこれらの重々しい命名についての詳細は明らかではない。

◎折口信夫氏は水虎様を「おしつこ様」と呼び、これは地元の方言としているが、スイコ・シツコは津軽の発言とも少し異なる。これに関して坂本吉加がシツコは津軽で清水の湧く水のことで、その畔によく水神様が祀られていたために誤ったのではないかと述べている。

◎色彩は中派立が赤、木造千年が茶、その他は青や緑が多い。
◎車力村史には千貫の水虎様が掲載されている。渋沢氏が車力村の氏神の境内で見た水虎様と思われる。これについては昭和48年以降に紛失し、現存していない。また、現存するかは不明だが河上氏の論文によれば今泉にもこのタイプのものがある。

◎水天や弁天像として造立された水神は手に何かを持つのが一般的だが津軽の女神は合掌しているだけで、亀または波の上に乗っている。
◎広田の水虎様は双体型で水神として祀られているが双体道祖神に見える。同じく双体型でも家調のものは同じ女神が2体彫られ道祖神ではない。
◎川山の石版浮彫像は頭巾を被り、束帯姿で剣を帯びた髭面の翁が波の上に乗り、手には緩やかになびく布様のものを持っている。
◎高瀬の木像は竜に乗った翁ないし神官の形である。
◎浪岡のものは昭和52年8月の豪雨によって集落を流れる川が氾濫したため、洪水を防止するために造立されたもの。

◎祀った理由…「子どもが水死したところ河童に取られたために(下車力)」、「子どもの水死が絶えなかったところ、水虎様を祀れば水死人が出ないと聞いて(館野越)」、「水上様の誘いに遭い、神様に言われて(永田)」、「子どもが水神様に誘われているとイタコに言われて(上相野)」、「子どもの厄除け(芦沼)」、「水虎様が子どもを誘って水死させるため(越水)」、「水に取られて死ぬ者が多かったから(今泉)」など。
◎御祓方法…「キュウリを川に流す」、「大祓詞やお経を読む」、「七色の供物を水に流す」、「藁人形をキュウリとともに流す」など。

◎創始者…個人、講中、村中。具体的に誰かが水死事故に遭った場合は遺族や子どもの親、個人が祀り、一般的な水死事故の多発は村中や講中で祀ることが多かったと考えられる。
◎高増(無彩色)のものを模倣したのが館野越、更に柏木堰(造形がくっきりし、丁寧な彩色)へと伝播。

◎祈願目的…圧倒的に多いのは水難防止だが、農業用水確保、家内安全、願い事すべて、交通事故防止、五穀豊穣など元来の目的より変化しているものもある。
◎祭事…寺の住職の読経、部落の長老の読経、神主祈祷、水虎大明神守のお札を出す、衣装や座布団を新調、幟を立てたり御神燈などで装飾、野菜や果物の初物を供える、参拝者がともに飲食など。神社の例祭に相乗りする以外の行事内容として、水虎様の前に莚を敷いて部落の女性が集まり、キュウリや菓子、御神酒、ジュース等を供え、ロウソクに火を点して願い事をする。午後3時頃から幟を担ぎ出し、笛や太鼓の囃子に乗せて地区内を練り歩き、夕方には供え物をして、代表者が祝詞を読んで拝み、祠の周りで飲んだり食べたりして遅くまで楽しむ。

◎水神様に彫られた女神は弁天様である可能性がある。また蛇神・竜神の関連で竜宮に住む竜女(乙姫)である可能性もある。これは水虎様が竜宮様の使いとされていることに関係が深い。もう一つの可能性としては罔象女神。津軽の女神は飾りも乏しく、手にも何も持たないが、これは仏像などを形象するときの決め事にとらわれずに素朴に祀りさえすればよかったという事実を物語っているよう。また、白髭水(白髭明神・白髪白髭の老人が洪水の波に乗ってやってくるという)とも関連。

◎水虎様は流行神の一種といえる。流行神は神仏がやたらに生まれて盛んに信心される現象。信仰対象は雑多であり、永続性もない。宗教者たちが民衆との結びつき積極的に行うために、つまり霊験で経営するために盛んに宣伝、布教活動を行う。水死の後ろに得体の知れない河童が潜んでいると感じられると、事故が続発することによって次第に祟りをもたらすものとして実体化していく。事故が各地で続き、そういった心情が伝播していったのだろう。

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