
濁川の水虎様の祠は道路上にドーンっと建てられています。

非常に個性的な河童(スイコ様)ではありませんか!


笑点の誰かに似ている気もしてきます…(笑)

今年も水難事故がないように宜しくお願いします♪

ちなみに『水虎様への旅~農業土木文化の時空』によれば下のような風貌であり、後に塗装し直されたのがわかります。

一方、こちらは永田の水虎様。こちらの水虎様は鍵があり、中を確認することはできませんでした。

『津軽ふるさと散歩』では、永田の水虎様について次のように語っています。「永田の橋の右手には小さいが立派な堂を建てて祀り、村によっては石に刻んで堰のふちに建てている」。

元々は2本の水路に挟まれた場所にありましたが、昭和58年頃に水路が統合されたことにより現在地に移したといいます。その際には灯りが消された浄闇の中で行われ、まさに遷宮の作法に即して移したそうです。よって現在でも一般の拝観は行っておらず、部落の祭事の時さえ、二重扉の外側のみを開けて行うそう。ただ最初の頃は永田の水虎様が大変立派なものであるということで、他の部落の人がよく見学に来たらしく、当初は拝観できたものと考えられます。折口信夫氏も拝観していますしね(このことについては朝日新聞青森版昭和11年5月24日及び31日に「河童の神様と題して掲載されています」)。

ちなみに永田の水虎様は折口信夫氏が模造したモデルとなったものです(※昭和8~9年頃、東北の民俗調査に来た際に水虎様の像に魅かれ、土地の仏師に模造させて魂入れを行い、自宅に祀っていたそうです。男河童は黒、女河童は朱の漆が塗られています。写真は折口信夫全集20巻の巻頭で、昭和24年春に撮影されたもの)。よって、本当に似てるとするならば上の写真(折口信夫氏が模造して自宅に祀っていた水虎様)のような夫婦タイプであると思われます。

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