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東京都新宿区。御祭神は菅原大神、稲荷大神、秋葉大神、嚴島大神。
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古来より東大久保村の鎮守。安貞2年(1228)栂尾明恵上人の勧請し、明慶、覚運らが奉祀。後に太田道灌が田圃を寄進。
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境内は椎、楠、銀杏など樹木の多い天神山(天神山児童公園)。
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天神は通常南にに向けて建てますが、祀っている菅原道真が亡くなった太宰府の方へ向かい社殿を西向きに造っているために西向天神と呼ばれます。
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天正年間(1573~1592)兵火により焼失し、御神体は谷間の桜の枝に移され祠が建てられます。その桜を瑞現桜といいましたが現存しません。
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聖護院宮道晃法親王が江戸に下った際、大僧都元信を当社の別当とし、この頃には社殿もようやく再建されました。
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3代将軍家光が鷹狩の時に立ち寄り、ナツメの形をした金の茶器を与えて、社殿修理の費用にするように命じたというので、「棗の天神」とも呼ばれています。
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また内藤豊前守が夢に従ってこの天神に娘の病の全快の願をかけたところ、正夢となって忽ち治ったといわれており、夢想天神とも呼びます。
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神楽殿。
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神徳芳千古。
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百度石。
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西向天神社は天神山と呼ばれた台地にあります。
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その自然の傾斜を利用して作られている東大久保富士。
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山頂「日之尊」。
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天保13年(1842)築造、明治34年(1901)の一時撤去を経て、大正14年(1925)再建。立入禁止となっています。
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藤圭子のデビュー・シングル「新宿の女」歌碑。西向天神社はデビュー時に「新宿の女」発売キャンペーンの出陣式を行った場所であり、石坂まさを氏の当時の住居から近かったことにちなんでいるそう。
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「新宿の女」作詞・作曲石坂まさを 共作詞・みずの稔 歌唱・藤圭子
私が男になれたなら
私は女を捨てないわ
ネオン暮らしの蝶々には
やさしい言葉がしみたのよ
バカだな バカだな
だまされちゃって
夜が冷たい新宿の女
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石坂まさをさん、藤圭子さん…謹んでお悔やみ申し上げます。
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