

境内に由緒がありました。

『ここの御神体はその昔津軽郡五所の長慶天皇が崩御大葬されたという場所に祠られてあったが洪水にあい、ここ元町の岩木川原に流れ着いたものである。柳の大木にひっかかっているのを発見した新宮の人が拾いあげ宅地内に祠ったが、やがて五所村の人達が探しあててもらいうけて行った。ところが再三流れては不思議に同じ場所に着いたので、これは神様の思召しによるものだと五所村の人達も認め以来この地に祠ることにしたと伝えられている。その年代は明らかではないが、万治3年(1660)の頃と考えられている。御神体は門外不出であるが、誉田別命(応神天皇)という。なお五所川原の地名の由来はこのことによるとの一説がある。』

創建はこの村が開拓された頃ですね。五所村とは旧相馬村の五所です。

確かに相馬村には度々岩木川の大洪水に見舞われている記録がありますね。


青森県神社庁によりますと、寛文元年(1661)勧請。



往古(明暦か万治の頃との説あり)、春の大水の時に五所川原村の崎に現在の中津軽郡相馬村五所鎮座五所神社の御霊代を奉安した御厨子納の祠が流れつき、新宮の住人が拾い上げて私宅に奉齋。


この時は五所から訪れた使者に返納しますが、その年の秋、次の春と同じように流れつくこと三度。これ神慮として五所の人々も納得し、新宮の地に祀ることに。

新宮の地名もこのことに由来。その後、村の人たちが協議し、実際に漂着した処こそ鎮座地に相応しいと改めて現在地に鎮祭されることに。 昔は御所川原と書いたそうですが、畏れ多いので五所川原に改めたそう。


明治6年4月郷社神明宮に合祭、明治8年2月復社。明治9年11月村社。
明治42年8月神饌幣帛料供進指定神社。


昭和元年岩木川改修により現社地に移転。



昭和26年3月国有境内地無償譲与許可。
昭和52年8月31日幣殿、拝殿改築。



末社稲荷宮等。


水虎様の祠も。女神型です。

殉難警察官之碑。

境内には奥津城がありました。

こちらは木村隆一頌徳碑。五所川原消防組第一部長、五所川原町会議員、五所川原荷馬車組合長などを務めたらしく、その功績について書かれています。

八幡宮本殿裏手にあった馬繋石。


更に本殿裏手には常夜燈があり、その先に若山牧水歌碑がありました。


大正5年3月に来遊の際に詠んだ歌2首。

『橇の鈴戸の面にきこゆ旅なれや津軽のくにの春のあけぼの(牧水真筆)』
『ひっそりと馬乗り入るる津軽野の五所川原町は雪小止みせり(山蘭書)』

若山牧水は五所川原に住んでいた和田山蘭と加藤東籬に深い理解と友情を持っており、昭和27年11月に3人の交流を記念して建立されたもの。

この歌にちなんで橇の鈴と名づけられた四阿があります。


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