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御祭神は天照皇大神。創建年代不詳。
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元禄15年堂社縁起修験道由緒によりますと「広田村大日如来堂 寛永年中(1624-1644)同村開発砌、往古堂地河添有、洪水損崩之故検堂地、有小森此、穿土地古礎顕則一宇建立…」とあります。
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貞享4年(1687)検地水帳によりますと大日堂地と境内林があります。
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安永5年(1776)広田組中安全五穀成就の祈願所として吹畑村八幡宮、喰川村の神明宮とともに、3年目毎に組神楽の執行方仰せつけられています。
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明治3~4年の神仏混淆分離調の際に御祭神を天照皇大神に改めて、社名を神明宮とし、それまで祀っていた大日如来像は非凡の名作であったために廃棄を免れ、別に堂を建立し残されたといいます。
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中世の神仏混淆で本地垂迹説が広まってくると、天照大神には観音菩薩(十一面観音菩薩)が当てられ、やがて大日如来となり、両部神道が登場すると天照大神は宇宙神である大日如来と同一視されるようになります。よって神明宮なんですね。
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明治6年4月村社。明治44年10月本殿造営。
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大正2年8月神饌幣帛料供進指定神社。
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昭和25年12月国有境内地無償譲与許可。
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昭和55年7月27日幣殿、拝殿改築。
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一の鳥居の横にある祠。
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馬頭観世音です。
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こちらは何だろう?
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こちらの祠は水神宮で、中には女神型の水虎様。
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隣の祠には屋船久久能智神、屋船豊受気姫命。
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更に手置帆負命、彦狭知神とあり、廣田水神宮新築神祠とありました。
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こちらが大日堂。道路を隔てた向かい側にあります。
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広田大日堂は上記で述べた大日如来を安置し、寛永年間、開村当時のものであり、神明宮が指定されぬ以前は産土神として崇められてきました。詳細な由緒は残っていませんが昔から霊験あらたかな神として崇められています。
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広田大日宮の前を馬に乗ったまま通ると大日如来様がお怒りになり、必ず落馬するという伝説が残されており、村人たちは必ず馬から下りて通ったといわれています。
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再訪記事:『広田神明宮 (五所川原市)

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