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寺宝の1つである円空作座像観音像は寛文2年(1662)に鰺ヶ沢の猟師が偶然に網にかかったものと伝えられる仏像で「海上漂流黒本尊」の別名があります。
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円空は北海道で多くの観音菩薩坐像を残しており、同じ様な仕様からその内の一体が流れ着いたとも考えられます。延寿院円空仏は昭和41年に青森県重宝に指定。
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境内にある明和地震供養塔は明和3年(1766)の大地震とそれに伴う大津波の犠牲者を弔う為に建立されたもので、船問屋菊屋善右衛門が現在の兵庫県出身の石工幸四郎によって造らせた宝筐印塔です。
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同家伝宝丸で運び、明和8年4月23日に建立。
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宝筐印塔には地蔵や十一面観音、吉祥天、不動明王などが彫りこまれ死亡者の戒名も見られることから史料的価値も高く平成元年に鰺ヶ沢町指定有形文化財に指定されています。 
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近くに柳町標柱がありました。
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「柳町は、通称であり、地籍上は、新地の一部となっている。元禄16年(1703)の絵図に新地町戸数31とあるが、この絵図にも柳町の名が見当たらないことから、その後の時代に、何かの理由で人々に柳町と呼ばれるようになったと思われる。」
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