
千手院の北東に隣接。

本尊は釈迦如来。寺社修験本末支配之記によりますと報恩寺末。

盛岡三十三観音第4番札所で第8番の宗龍寺(廃寺)十一面観音も安置。

文政元年(1818)二人扶持、同9年五人扶持を加えられ、七人扶持。

酔っているけどお邪魔します!嘘です。


天正年間(1573-1592)の創建、あるいは中興と伝えます。盛岡藩主南部利直に仕え、慶長19年(1614)の大坂冬の陣に従軍した女鹿丹後守信宗は、死去後青竜院祇陀居士といい、当寺の開基と言われています。


信宗は二戸郡女鹿村に葬られたといいますが、盛岡城築城後の寛永年間(1624-1644)に報恩寺が曹洞宗の総録として陸奥三戸から盛岡に移った際に同寺から鳳庵存竜を開山として迎えたと伝えます。

古伝によりますと、当寺境内より青竜が飛び出して南昌山に至ったために同山を青竜山と称し、その神を申淵青竜権現といいます。

以上、私が個人的に調べた由緒を述べましたが、ホームページに由緒等が詳細に書かれていましたので、是非ともそちらの方を参照なさるのが良ろしいかと思います。


「青龍山 祇陀寺」

本堂。




向拜の獏と麒麟と宝珠を持った龍。



本堂の扁額は西有禅師の揮毫。

本堂の屋根上に見える龍。


昭和32年に新製された鐘楼。


入口付近にあるこれは…

ホームページによると若い芸術家の作品で、檀家の一人が若手芸術家を支援していてここに置いたものであると説明されていました。

壇信徒入口。

山門。

明治36年建立。



山門の屋根には祇陀寺の雨龍の紋と龍が見えます。



何やら狛犬のようなものも一対見えます。


そしてこちらにも暑さでグッタリとした狛犬が一体。

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