
館神跡です。2代藩主信牧が太閤豊臣秀吉の木像を御神体として安置した場所。


藩主や場内の安全などにかかわる加持祈祷が取り行った場所で、ここへ出入りできたのは、藩主や神官やその家族などの限られた人のみでした。


表向きは稲荷社となっていますが、その後ろには厨子があり、その厨子は一度も開かれることがない開かずの宮と呼ばれてきました。

明治になり、開かずの宮の扉を開いてみると、白布に包まれた太閤豊臣秀吉の木像がひっそりと安置されていたのです。

秀吉像は昭和32年(1957)に津軽家から革秀寺へ寄託されて現在に至ります。ちなみに稲荷神は市立博物館で見たことあります。

平成11~12年の発掘調査では、鳥居の礎石や本殿の柱穴、柵列跡などの遺構が確認されたほか、藩政時代の陶磁器や時が多数出土。

発掘された遺構は盛り土により保護され、その上に鳥居の礎石や柱、本殿の柱、柵列の柱を表示。

ちなみにこの場所は昭和8年(1933)に鹿苑となり、その後バラ園としても整備された経緯もありますが、このことについてはあまり触れられることはないようです(笑)


さくらまつり期間にはカメラマンがいっぱいいる場所ですね。


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