葺手町。旧町名になります。石畳風に舗装された道路にオシャレなcafeなどもある素敵な通りです。
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『慶安四年(1651)盛岡の二十三町ができた。このとき岩手町が材木町に変り、屋根葺町が葺手町に改められた。葺手町は肴町の北一丁半、屋根葺が多く住んでいた。紺屋町から葺手町へ出る横道を、愛染横町と言った。藩がはじめて瓦葺を許したのは、寛保元年(1741)である。布告には「これは火のもと用心のため許されるものだ。侍屋敷や寺町、どこの町にも許される。」ということであった。火事が恐しいので、藁葺、柾葺より瓦葺が安全ということになったのであろうが、昔は大火が多かった。葺手町の戸数は、天明八年(1788)の調べで38戸、住民は327人とある。同じ調べで大工町が226戸で715人とあるから、葺手町の方が、一戸当たりの住民の人数が多い。小さな長屋風の住居が並んでいたものであろう。』
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寛永年間(1624~1644)頃は葺手町には切支丹が住んでいたらしいです。南部藩が山城の国から鳥山葛右衛門という屋根葺き名人を招いて城下町の居宅の改造に乗り出したそう。萱を使った屋根は葛屋根・葛葺き屋根と呼ばれ人々に愛されました。前述のとおり、屋根葺町は慶安4年8月16日に葺手町と改められ、承応4年には葺手丁となります。明治になると屋根葺き職人の家業も建家持、盆石持、雑菓子屋、蕎麦屋、馬車屋、人力車屋などに変わっていきます。
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愛染横丁から見た東家本店。
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盛岡商工会議所のHPに昔の写真などが掲載されており、大変面白いです。
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こちらはかつて歯科医院だったらしいです。趣のある建物です。
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提灯の中直。
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創業130年以上。
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紺屋町の老舗白沢せんべい店。昭和11年創業。
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雑貨屋の森八商店。平成16年盛岡市都市景観建築賞。紺屋町番屋隣。
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草紫堂。紫根染の店。昭和8年(1933)創業。
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白壁の蔵造りが素敵な釜定。明治時代から続く南部鉄器の老舗。ここは素敵なものがいっぱいでつい買ってしまいそう。
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特に盛岡天満宮に行ったことがある方なら絶対に買ってしまいそうなものも…たまらんです(笑)
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雑貨屋のござ丸(茣蓙九・森九商店)。文化13年(1816)創業の商家。
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この建物は江戸時代後期、明治中期、明治末期と次々に建てられたもので、藩政時代からの商家の姿を今に伝える建造物。
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広い敷地内には店舗、住居、土蔵等数棟が建てられており、紺屋町道路側からは店舗と住居が見え、中津川側から蔵や塀を見ることができます。
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今回散歩中に発見した建物の中でも個人的に最も趣を感じました。しかも現役です。
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さて、少し離れますが、盛岡八幡宮前を通って鉈屋町方面へ。
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あっ!空白さんが立ち寄ってた石澤和竿毛鉤店だ!隣の蕎麦屋も美味しそうでした。
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鉈屋町。
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『京都の富豪鉈屋長清が当地に来て、釶屋山菩提院という寺を建立したことに由来する。菩提院は後に内加賀野に移されたため、昔はこの寺院の前も鉈屋町と称し、2つの鉈屋町が存在したこともあったが、文化9年(1812年)に改められて、当地を鉈屋町として城下の一町とした。
当町の西側に水主町があり、文化年間に用水桶を町内に設ける藩命があった時には、水主町のほか当町から上小路の曲り角で中野村枝村十文字をも含めて鉈屋町といった。
水主町は、北上川の舟運に従事する船頭などの住む町で、新山舟橋を管理する役目も持っていた。また、藩主の飼っていた鶴の餌にする川魚を捕る仕事などもしており、小禄であるが、藩から扶持を得ていた。
また、当地は江戸時代から良質の湧水が豊富な地域で、酒・味噌・醤油などの醸造業が盛んだった。それを今日伝える大慈清水、青龍水は盛岡三清水に数えられ、平成の名水百選に選ばれている。』
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盛岡市鉈屋町の旧岩手川跡にある大坪瀬左衛門屋敷(明治35年建築、簗川村川目より移築、浜藤酒造店)&文庫蔵(昭和前期建築)です。大慈寺地区コミュニティ消防センター隣。
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裏手(ユニバース側)には浜藤の酒蔵(江戸末期-明治前期建築)&大正蔵(大正10年建築)がありますが、いずれも改修中でした。
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第二分団旧番屋隣にある旧藤原家町家(藤原毛皮店)。旧藤原家町家。
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明治期のものらしいですが恐らく最近修復が行われたのでしょう。とても綺麗な建物になっていました。
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日本映画史上屈指のグラマー女優として有名な三原葉子の実家らしいのですが…そもそも誰なのか知らない(笑)
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こちらは鉈屋町の隣町。
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南大通の上野豆腐店。創業は安政年間。
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地元人にも観光客にも愛される名店。
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最後に盛岡城警備惣門遺跡の石柱。
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こちらも南大通。
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岩手県指定文化財の木津屋池野籐兵衛家住宅(天保5年建築で松材を主に用いた土蔵造りの商家店舗兼住宅)隣付近です。
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今回は急遽訪れ、時間もなかったため、またゆっくりと散策したいです。そのくらい素敵な街でございました。
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