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本尊は釈迦如来。もと寛永寺(東京都台東区)末寺。開山は本好。開基は三代藩主津軽信義。旧津軽家菩提寺。旧天台宗僧録所。
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随所に古式と高い格式を示す大規模な本堂は県重宝。
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貴重な近世本堂建築として、県内では長勝寺、革秀寺に次いで3番目の古さです。現在の本堂は棟札から宝永元年(1704)再建として知られています。
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天台宗諸寺院縁起志によりますと、明暦元年(1655)11月25日江戸にて亡くなった信義の菩提を弔うため、4代藩主津軽信政が翌2年に創建。開山の本好が津軽家の江戸の菩提寺天台宗津梁院(東京都台東区)より分骨を報恩寺に持参。
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同年寺領290石を与えられましたが、うち90石は塔頭寺院である観明院・光前院・正善院・一乗院・了智院・理教院(現在すべて廃寺)の六院に各15石ずつ与えられました。このため六院の衆僧は報恩寺の供僧として朝暮の勤行・供奉・灯明・焼香・掃除などを勤めたそうです。
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明暦3年9月1日輪王寺宮一品法親王より一輪山桂光院報恩寺の三号を授けられ、寛永寺の末寺に加えられ、この時点が開基と考えられます。
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貞享4年(1687)焼失。このため六代住職翁覚は京都の仏工に釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩の彫刻を依頼しており、本尊は本来釈迦三尊仏であったと考えられます。津軽一統志に元禄14年4代信政の再興とあり、貞享4年の焼失後の再興をさすと思われ、江戸の津梁院に準じて本尊に釈迦三尊仏を安置し、日吉山王大権現・弁財天の社堂を建立し、境内東方に丈六の十一面観音、西方に阿弥陀如来を置いたとあります。報恩寺の辺りは報恩寺門前と呼ばれていました。
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津軽歴代記類によりますと、宝永7年(1710)12月7日に遺命により故4代藩主信政の遺髪と爪が埋葬。また延享元年(1744)5月25日に亡くなった6代藩主信著は、長勝寺に埋葬するよう遺言していたため長勝寺に埋葬。しかし報恩寺より3代藩主信義以降、津梁院または当寺へのみ藩主を埋葬しているとの申入れがあり、7月12日報恩寺へ改葬しました(実際には遺骸は移さず墓のみを報恩寺に建立)。
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新撰陸奥国誌によりますと、本堂の左に護摩堂があり不動明王を安置し、護摩堂の西に鐘楼があり、鐘は万治元年4代藩主信政の寄進。塔頭として六院のほかに旧念仏堂にあたる善入院、旧観音堂にあたる無量院があり、無量院は明治3年(1870)袋宮寺に合寺。
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墓地には3代信義、4代信政、5代信寿、6代信著、7代信寧、8代信明、9代寧親、10代信順、11代順承、順承の養嗣子承の墓である五輪塔がありましたが、昭和29年(1954)長勝寺へ移されました。その時承の遺体が屍蝋となって発見されて多くの副葬品が出土。現在は3代信義の側室長泉院の墓が当時の面影を伝えています。また、寺宝として8代信明と9代寧親の木像があります。
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文殊菩薩。御本尊の釈迦如来の脇侍として白象に乗った普賢菩薩とともに獅子に乗り祀られています。
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