御祭神は徳川家康公、徳川吉宗公、徳川慶喜公。
あらためて訪問したら、男坂・女坂のような経路があることに気付いたんですが…
単純に伊豆栄梅川亭へ上る道なのかも知れませんね。
大石鳥居。1633年(寛永10年)酒井忠世建築奉納。国指定重要文化財。石材には備前の御影石を使用。
元和2年(1616)2月4日、お見舞いのために駿府城にいた藤堂高虎と天海僧正は、危篤の家康公の病床に招かれて、3人1つ所に末永く魂鎮まるところを作ってほしいという遺言を受けたそうです。
そこで藤堂家の屋敷地であった上野に寛永4年(1627)に東照宮を造営。正保2年(1645)に正式に東照宮の宮号を授けられます。
慶安4年(1651)に3代将軍徳川家光公が大規模に造営替えをしたものが現存する社殿で国指定重要文化財。
金箔をふんだんに使っており金色殿とも呼ばれました。戦後神仏分離令により寛永寺から独立。
それが何と私が訪れた時期は改修工事中にてこんな状態!!…残念過ぎる(笑)…もちろん中も見れず。
神楽殿。
1874年深川木場組合奉献。屋根の勾配の美しさは都下随一といわれています。
石灯籠は200基以上。
ほとんどが現在の社殿の建築の年(1651年)に諸大名より奉納されたものです。
中でも1632年に佐久間勝之より奉納された石灯籠は高さ6.8mもあり、お化け灯籠と呼ばれています。
銅灯籠48基。
国指定重要文化財。
寛永慶安年間に諸大名が奉納。
鈴堂。
広島・長崎の火。
昭和 20年(1945)8月 6日・9日、広島・長崎に人類最初の原子爆弾が米軍によって投下され、一瞬にして十数万人の尊い生命が奪われました。そして今も多くの被爆者が苦しんでいます。
広島の惨禍を生き抜いた福岡県星野村の山本達雄さんは、叔父の家の廃墟に燃えていた原爆の火を故郷に持ち帰り、はじめは形見の火、恨みの火として密かに灯し続けました。しかし、長い年月の中で、核兵器をなくし、平和を願う火として灯すようになりました。1968年 8月 6日、星野村はこの「広島の火」を「平和の火」として、村人の協力によって今日も灯し続けています。
ぼたん苑。
境内のすぐ横に旧寛永寺五重塔(1631建築後焼失し、1639年再建)があります。
動物園内からじゃないと木が邪魔でよく見えませんね。
由緒等。
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