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寛文5年、羽州街道を経由するまで、西浜街道を利用していたため、この間亀甲門(北門)が弘前城の追手門とされており、当時は表門の商家街でした。
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慶安2年に亀甲町となります。
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国の重要文化財に指定されている石場家住宅。当主は代々清兵衛を名乗りました。度々改築が行われてきましたが、最初の建築は18世紀前半で、主屋は初め他所にあった物を19世紀初頭に現在地に移築したと推定されています。内部の見学も可能です。
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石場屋酒店HP
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川崎染工場は弘前市「趣のある建物」に指定されています。
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寛政時代に創業した天延藍染めの染物屋。
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川崎染工場HP
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観光施設津軽藩ねぷた村。
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ねぷた村内。
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市指定有形文化財の揚亀園揚亀庵があります。
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揚亀庵。
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揚亀庵内部。
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揚亀庵から見る揚亀園。
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揚亀園から見る揚亀庵。
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揚亀庵の屋根。
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弘前市「趣のある建物」に指定されている「蔵工房たくみ」(慶応元年(1865年)建築)。
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津軽藩四代藩主信政(1646~1710)のとき、この土蔵附近一帯が藩の御倉屋敷となりました。この土蔵はその時建造されたもので約300年前のものです。
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建物中央道路側に昔の出入口の跡が残っており間口四間、奥行十五間で土台は安山岩、建物は土合掌造りでヒバを使ったものです。
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明治初期、時敏小学校前身の亀甲小学となりその後みそ倉として現在まで活用されて来ました。カネ亀中村醸造元のこの倉で製造された味噌は明治初期から昭和29年まで北海道全域で広く売られこれが津軽みそと呼ばれるようになりました。
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亀甲町標柱。
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慶長八年(1603)からの弘前城築城と城下町の建設に際して、最初に町割りされました。町名は、城を守る東西南北の四神のうち、北の神である玄武(甲羅があり、姿が亀に似ている想像の生き物)にちなんで命名されたと伝えられています。
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亀甲町広場にある建物内に絵図などがありました。
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