
七戸神明宮です。

御祭神は大ひるめ貴尊。

七戸郷土誌によりますと、「応永3年(1396)丙子三月五日新町に勧請」「盛田喜右衛門が社地を寄進し南町へ奉遷」「浦田官蔵の社地寄進により更に遷宮」「明治14年9月22日人民寄付地に移転方申請許可」「明治26年8月竣工 正遷宮」「明治43年8月16日神饌幣帛供進せられる」とあります。

応永3年(1396年)3月5日、根城南部八世政光により七戸村字新町に創建。南部氏を始め七戸管内一円の総鎮守として広く崇敬信仰。


寛文4年9月に旧藩主南部行信公が南町に奉遷(南部行信公が社殿修造、神領一石と神馬奉納。新町跡地を古神明といいます)。


文化8年に託宣があり奉遷。明治14年9月22日奉遷(現役場付近)。明治26年に南部氏の居城である七戸城本丸跡(現在地)に遷座されて、社殿竣工、正遷宮。





新撰陸奥国誌によりますと七戸町神社について、神明宮の項に相殿を鹿島神であるとしています。

明治6年6月柏形稲荷神、稲荷五社神、住吉神、新山神、八幡宮、事比羅神、須賀神、天満宮、蒼前神、秋葉神、坂本稲荷神、福田稲荷神、黒滝神の13座を遷し祀ったと記しています。




藩政時代は南部氏の祈願所として尊信厚く、また七戸の総氏神様として「しんめいさま」と町民から親しまれ、世々の藩主により、社殿造営、神領、神馬等寄進されています。



大祭(しちのへ秋まつり)では南部藩36代藩主利敬公が領民教育のためにつくったという「親孝行踊り」が毎年奉納伝承されています。

みこし殿・合祀殿。



神明宮境内には現在熊野宮がありました。

南町・浦町・川原町・新川原の四町の管理に属するそうです。


金毘羅大権現を刻んだ石塔(安政5年建立・寄進者不明)。新撰陸奥国誌によりますと、支村新町にあったものを移し祀ったといいます。

古神札焼納所。立派な石碑です。

郷友館。旧奉安殿です。昭和20年のGHQの神道指令によって奉安殿は廃止されたために、多くの奉安殿は解体されてきましたが、郷友館(総代に軍人が多く、戦後に帰郷した軍人によって組織された)という名で管理してきたことにより、現在まで残すことができた貴重な建物です。元は七戸小学校の敷地内(校庭の真ん中に1919年建設)にあったものを戦後ここに移したそうです。

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