
地内西方の冷水沼の北側にあります。

高野山と称し、高野山九十九森寺とも呼ばれています。

山門。

仁王尊像。


この仁王尊像は深浦町北金ヶ沢の垂乳根の銀杏が原材となっています。

東北三十六不動尊霊場第十六番札所。
北国八十八ヶ所霊場第六十一番札所。
津軽弘法大師霊場第十一番札所。
津軽七福神霊場福禄寿尊札所。

高野山真言宗は和歌山県の高野山金剛峯寺を総本山とする真言宗の一宗派。

開祖は弘法大師で現在金剛峯寺第412世座主松長有慶大僧正が最高位。

高野山真言宗西の高野山弘法寺は現存する7代目住職の位牌が600余年前のものです。

一時洪水等の天災で寺が消失した時期があり、明治に入ってから再興されたそう。その際に記録を消失しており、開創などは不詳ですが、現存する7代目住職の位牌に貞和4年(1347)7月6日の年号があります。現在の住職は中興7代目。


再興後は昭和30年頃まで津軽高野山九十九森寺と呼ばれており、和歌山県の高野山に対し、極楽浄土を表す西をもって西の高野山と呼ばれるようになりました。


昭和27年に入ってから「西の高野山 弘法寺」と改称。


この山号は所在地が西津軽郡の高野という地名であることと、極楽浄土を表す西に由来。


先祖供養や家内安全等の祈祷や相談に訪れる信者が多く、特に「黄泉の祝言」を行う寺でもあり、人形堂には県内外より奉安された約千体余の花嫁、花婿の人形が安置されています。『津軽ふるさと散歩(小舘衷三)』では次のように紹介しています…『奥の院には観音様が祀られ、亡くなった人の持ち物、その他の供養の品々が納められている。近年、奉納の人形があまりに多くなり、この堂だけでは間に合わなくなり、右に増築したが、その堂も一杯になっている。大部分は花嫁姿の立派な人形で、中には東京の浅草橋の「久月」、「秋月」作の高価なものまである。吾が子が未婚のままで亡くなったので死後、花嫁をもらってやろうという親心であろう。中には、悪いことが続いたので、「ごみそ・イタコ」にうかがいをたてたところ、二十年前に亡くなった幼児がもう年頃で「お嫁さんがほしい」と、事故に寄せて催促している、というので早速花嫁人形を奉納したという例もある。もちろん女の子のための花婿人形も、新郎新婦一揃のものもあり、丁寧に名前までつけている。(以下略)』。

こちらの修行大師御尊像は大正7年建立で県内最古弘法大師像。




高野山において弘法大師を白と黒の2匹の犬(狩場明神の化身)が案内したという逸話から2匹の犬を従えています。


うっ!太陽が!

弘法大師が四国行脚の途中で橋の下に仮の宿を求めた姿を再現した県内唯一の等身大「お休み大師」です。


平成2年に建立。

弘法大師様は『ゆきなやむ 浮世の人を 渡さずば 一夜も十夜の 橋と思ほゆ』と溜息まじりで詠まれたそうです。

大洲市の十夜ヶ橋に行ってみたいですねぇ。

睡眠中も弘法大師が守ってくださるよう「お休み大師」を描いたお札もあるそうで、寝室に貼ると安眠できるとか。


本堂。


本尊は弘法大師で無檀家の信者寺。


本尊の弘法大師は本堂奥の院に安置されており、本堂からはそのお姿は見られないのですが、申し出があればご案内してくれるそうです。


本堂前のこうやくん。

五鈷杵。

弘法大師が生涯大切に使用した密教法具。

獅子頭。

安産守護の淡島明神。

こちらにもお休み大師!


あっ!こうやくん(笑)

さて、弘法寺は津軽七福神霊場の福禄寿尊札所でもあります。



東北三十六不動尊霊場。不動明王は通称「身代り不動」と呼ばれており本堂に安置。

不動堂。



不動堂横にある南無大師遍照金剛、交通安全守護蛙。

境内地の不動堂の脇に不動明王侍者第16番従者「阿婆羅底童子」を安置。


水かけ不動尊。

招福狸。

福を授け健康を守る狸さん…可愛がってね♪

大澤寿夫歌碑。

『父を偲び歩むふるさとの 家の庭昔のままなり 小竹とつつじと』

横山武夫氏の代表作ともいえる有名な歌碑。毎年、記念歌会も行われているそう。
『時の逝くはかくの如きか空と海の 連なり照らす白の太陽光』

ぽっくり長命極楽地蔵。


私も無病息災でぽっくりといきたいものです。

石碑はいっぱい、庭も美しいし、まだまだ見所いっぱいの西の高野山の紹介でした。また行きたいな♪

「西の高野山 弘法寺」HP


コメント