
案内板より…

「福島城は十三湖の北岸、標高20m程の大地上に位置する。1辺約1kmの三角形をした総面積62万5000㎡の壮大な規模を持つ城郭で、内郭と外郭から成る。内郭は、1辺200m四方の規模で、土塁と堀によって区画されている。これまで伝承に従って、安藤(東)氏の居城と考えられてきたが、発掘の結果、平安時代末の築城と考えられる。」

案内板では一番大事な「平安時代」の部分が消されていました。

より詳しい案内板より…



福島城跡は十三湖北岸に面する標高20~30mの丘陵西端にある。この城跡は内郭と外郭の二重構造をなす。内郭は1辺が約200m四方の方形で、土塁と堀を巡らしている。一方、外郭は1辺が約1kmで、土塁や堀、一部自然の沢を利用した三角形の要害を為す約62万㎡の広大な面積となっている。


これまで福島城跡は近世編纂物の『十三往来』や『十三湊新城記』にみえる「新城」ではないかとする見解があった。『十三湊新城記』に登場する「新城」については、鎌倉時代末の正和年中(1312~17)に阿倍(安藤)貞李(さだすえ)が築いた城郭と記されていることから、従来この地域に勢力を誇った安藤氏の居城として理解されてきた。



また、福島城の名称は『十三往来』に記載された「福島之城郭」が初見となっているが、名称の由来は明らかではない。江戸時代後期の寛政8年(1796)、この付近を訪れた菅江真澄は『外浜奇勝』の中で、「南のかたに大野とてひろ野あり、そこに、誰ならんすみつといふふる柵のあとあり。」と記録しており、江戸時代にはすでに城主や名称についての伝承は絶え、城跡の存在が知られているに過ぎなかった。


古くは昭和30年に東京大学東洋文化研究所、平成4~5年に国立歴史民俗博物館、近年では平成17~21年に青森県教育委員会が発掘調査を行った。



青森県教育委員会では土塁や城跡・区画施設・門跡といった福島城跡に直接関わる城郭遺構について重点的な調査を行った。その結果、「外郭東門」や「内郭」といった主要な城郭遺構がそれぞれ安藤氏時代(14世紀後半~15世紀前半)に造られたことが確実となった。



特に注目されたのは、「内郭」の南東部分から板塀で区画された武家屋敷跡が発見されたことである。東西70m×南北55mの板塀で区画された中に「主殿」とみられる大型の掘立柱建物跡や付属建物跡、池跡等も発見されている。

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