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創建不詳。延暦年間に坂上田村麻呂が勧請したのが始まりと伝えられています。
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歴代領主から崇敬され社領の寄進や社殿の造営などが行われ領内総鎮守、産土神として広く信仰されました。
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当初は富田館に鎮座していましたが、寛永19年(1642)に現在地に遷座。富田館ってどこだろう。平川市日沼富田の富田かな。
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元禄2年(1689)に吉町弥治衛門によって社殿が寄進されます。弘化2年(1845)に大袋葛西勘十郎から社領が寄進。
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古くは観音堂と称していましたが嘉永年間(1844-1853)に大汝少彦名神社と改め、 明治元年に富岳神社に改称し、明治42年に村社に列して境関の産土神になります。 
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末社には稲荷堂と大志羅堂がありました。
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中は見えませんがオシラ様があるのかな。
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貞享4年検地水帳によれば境関村には万太夫抱えの薬師堂と村中抱えの愛宕堂地があります。
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尾上町文化誌によれば、旧尾上町の三社神社の氏神が境関村の富岳薬師宮とあり、この薬師堂が現在の富岳神社でしょうね。
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国誌によれば明治初年当時、境関村の北端平川の岸に富岡神社とあり、これが現在の富岳神社。
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祭神は少彦名命。相殿として明治5年に福村の熊野宮が遷座。
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富岳神社北方付近が葛西氏の境関館跡地となっており、僅かに堀跡を残しています。
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再訪記事:『富岳神社(境関館)』

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