

城郭の南に位置し、北はかつての南溜池跡に接します。


日暮橋で続く銅屋町から西の久渡寺道に至る道筋で、当町の中程から北へ唐金橋で在府町と連絡し、その西で北へ折れて加藤坂を下って寺沢橋を渡れば茂森町へと続きます。



慶安2年の寺町(現在の元寺町)大火により焼失した寺院の移転のために翌3年に町割りされています。

南塘グラウンドは南塘町?北新寺町もしくは桶屋町になるのかな?


ご存知の通り、かつての南溜池(鏡ヶ池)です。

南溜池は城下防衛の役割が不要となった後に、市内小学校の学田となりました。

そこへ下っていく2本の坂道(ピンクの線)。

昔から変わらぬ坂道です。



名付けて鏡坂と本鏡坂(笑)



かつては岩木山を水面に映していたという美しき鏡ヶ池の昔の風景を思い浮かべながら散歩します。


稲荷神社の近くが広い空地になっています。

昭和10年の地図には仲舘広之助とあります。

塀だけが残っていて不思議。

さぞかし立派なお家だったのでしょう。

この先は階段で南溜池へと降りれるようになっている…

と思いきや通行禁止でした。

対馬産業となりまさ。

昭和10年古地図では對馬鉄工所と成田雑貨店。おぉ…名前が残っていますね。

なりまさは弘前高校の生徒御用達!

弘前高校は慈雲院跡地。

詳しくはこちらをどうぞ。

吉田金物店。


昭和10年古地図にも残っていた、かくみつ食品の「おとうふ懐石水豆花」ですが最近になって閉店したようで残念。

太巻や。テイクアウト専門です。おはぎや饅頭が美味しいお店。

新寺町標柱。

慶安2年(1649)弘前城東方の寺院街の一画が焼失したのを機に、三代藩主信義(のぶよし)は、十五ヶ寺の寺院移築に着手、南溜池西方に新寺院街を作りました。以来この地を新寺町と呼ぶようになったものです。

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