今回は冒険心を高めるため、少し古い地図だけを手にして、先日紹介した南田中の熊野宮から山神社(金屋の産土神、金屋字上早稲田)を目指してみました。
イメージ 2
南田中の熊野宮の記事:『熊野宮 & 田中館 (平川市南田中)
イメージ 1
青いルートを見れば「ただ真っ直ぐ行けばいいだけじゃん」って思われるかも知れませんが、少々古い地図なのでそうはいきません。目印もないし、道も変わってますし、距離感がまったくつかめません笑
イメージ 12
地図からは想像できぬほど結構な距離を進んだところで、ようやく一の鳥居を発見できました。
イメージ 20
イメージ 21
イメージ 23
石柱には「村社 大山祗神社」とだけあり一瞬焦りましたが、木の陰に古い「山神社」の石柱も発見し一安心。
イメージ 24
イメージ 22
鳥居を潜って上って行きますと、キャンプ場として整備されている自然の森という場所があります。
イメージ 5
イメージ 8
イメージ 9
イメージ 10
キャンプ場内に親杉という巨木がありました。
イメージ 6
親杉は平川市尾上地域随一の巨木で、当周辺最初の植林と推定されているそう。樹齢は言い伝えで250年。若干大雑把ですね(笑)
イメージ 7
周辺にはいくつかの碑もあります。
イメージ 3
イメージ 4
歌碑。
イメージ 15
更に上って行きますよー。
イメージ 11
イメージ 13
到着。
イメージ 14
御祭神は大山祇神。 祭日は旧6月12日(現7月12日)。
イメージ 25
草創年月不明。
イメージ 26
慶長10年 (1605)、 津軽左馬守藤原建麿再建と伝えられます。※一説には慶長11年津軽左馬頭建広再建。
イメージ 27
明治6年神社改正により田中村の熊野宮の相殿になるも、明治8年、 本殿が組頭小野長九郎、 百姓総代佐藤喜助らによって再建。また同年氏子総代等により拝殿が造営。 明治9年復社、同年12月村社。大正4年7月13日神饌幣帛料供進神社。
イメージ 28
昭和21年の神社制度改正により、同26年3月31日国有境内地300坪無料譲与許可。現在の建物は明治8年に本殿が再建、同42年に拝殿が完成したもの。
イメージ 29
古い伝説によりますと神社後方にある大石様にさるか神霊が秋田県鹿角郡申ケ野から白馬に乗って流れつき、 ここからさるか森 (猿賀神社) に鎮座したと言われているそう。
イメージ 32
イメージ 33
山神社は原始信仰の拝所でしたが、仏教文化が入ってから明治初期まで「深砂宮」(深砂大権現宮、猿賀神社に同じ)という真言の守護神を祭っており、明治の神仏分離令により大山祇神社と改称し今日に至るといいます。
イメージ 34
平安時代の終わり頃、奥州藤原氏(清衡)により猿賀・熊野堂に新山寺(新山本明寺熊野権現)が建立され、秀衡は猿賀神社を補修していますが、この頃には多数の山伏たちが笈を背負い、猿賀をはじめ金屋山の大石様・山神社で修行していたと考えられています。
イメージ 30
イメージ 31
狛犬の後姿がキュート。
イメージ 19
本殿前の狛犬。
イメージ 17
イメージ 18
本殿。
イメージ 16
大石さま(大石神)と古代祭祠場跡 (平川市金屋)』の記事。
再訪記事:『山神社(平川市金屋)

以下、藩政時代の記録
〇諸神社詳細調の山神社…吉田表御達 大光寺組金屋村 一、山神社一宇 社司久保石見守 堂社板葺で建坪は南北三尺、東西二尺五寸、さや堂は萱葺で南北二間半、東西二間、社地は西向、南北五間東西十一間、但し、建立の年代相分り申しません。棟札詮議しましたが、先年から見えていません。右の通り書上げ申します。以上 安政二年卯の九月 庄屋 長右衛門 また、最勝院調上帳 吉田表御達覚 大光寺組金屋村 一、山神宮一宇 右田畑なし 一、堂社 萱葺 建坪 東西二間、南北三間 一、建立月日 不詳、右堂破損、当村で再覆、棟札なし 一、神事三ヶ年に一度当村で六月十二日施行 一、社地東西四間、南北六間、境内東西十五間、南北二十間 社司伊太夫抱 同村稲荷宮一宇 一、建立不詳 萱葺 東西三間、南北二間 一、社地東西三間、南北四間、境内東西十五間、南北十四間、社司長利伊太夫 一、先祖右伊太夫慶長年中大光寺金屋山神宮社司に主社仕りました。延宝年中信政公様御代に禰宜町に引上げ仰付けられました。信政公の御代の勤めに一石八斗下し置かれました。其後数代社司を相勤めました。天保十年十二月にタユウになりました。安政二年久保石見
 にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 東北情報へ