
かつての田中村。


天正8年(1580)に津軽藩祖為信の臣で太郎五郎吉祥の子田中惣右衛門宗久の領地となり居館が置かれたことにちなむ地名。


宗久は新屋村にも知行地を持っていたために、本田中村とも称したといいます。




田中館跡地は現在の熊野宮境内で水堀跡を僅かに残しています。



貞享4年検地水帳によりますと高宮太夫抱えの観音堂がみえ、慶長3年(1598)に大光寺城主津軽佐馬助建広の勧請と伝えますが、明治の神仏分離にて熊野宮に改称。

忠魂碑と摂末社等。


こちらの石は何でしょう…疱瘡神的な…。

本殿。

真裏も舗装された道路となっているため本殿が真後ろから丸見え。

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