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御祭神は誉田別尊、高皇産霊神、倉稲魂命、如意輪観世音菩薩。
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高城八幡宮の鳥居前に「弥三郎節の碑」が建っていました。
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下相野は寛文2年(1662年)、板屋野木村の嘉右衛門により開田され、その後、越前国から移住した盛作右衛門により発展していきました。
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この盛作右衛門が延宝3年(1675)、産土神を祀ろうと自宅奥庭に堂宇を建てたのが現在の高城八幡宮境内だったといいます。※境内由緒の年号と若干差異あり。
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寛文5年(1665)勧請、下相野観音堂と称し、津軽三十三観音霊場第十一番。
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元禄3年7月(1690)、集落民の五穀成就と家内安全等の祈願所として社が再建。
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延享3年(1746)に集落民が崇拝する産土神と観音像を合祀。
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明治時代初頭の神仏分離令により混合していた八幡神と隣にあった高皇産霊神社と合祀し、二重の堀に囲まれた城構えの景観(現在は埋められています)であったことから高城八幡宮と社号を改称し郷社に列しました。
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本尊である如意輪観音像は密かに持ち出され、身代わり像を渡し、廃仏毀釈が静まると本殿に再び安置しましたと伝えます。
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現在本殿には、三柱の産土神と観音像とが合祀奉齋されています。 観音像は御神体左に安置され、淡い色彩が施された小さな木造座像。
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また、元文元年検地帳によりますと宮本宇門抱えの観音堂があります。
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安政2年神社書上帳によりますと飛竜宮とあり、創建は不明。元禄3年、寛政4年、天保14年の棟札をもつと記録にあります。
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水虎様。
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水波姫大神、闇オカミ大神。
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森田村誌によりますと寛延年間に津軽三十三観音第11番札所となり如意輪観音を祀っていましたが安政2年に飛竜大権現になったと伝え、明治3年の神仏分離により翌年最勝院へ観音像が移されて八幡宮になったといいます。
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昭和32年、観音堂があった場所に観世音をかたどった石像竜頭観音を建立。
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御詠歌「のちの世を 願う心は下相野 白髪の雪の 降らぬその間に」
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