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御祭神は譽田別尊。場所はかつての尾崎城(尾崎館)跡地で二ノ郭跡になります。
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旧6月15日には県無形民俗文化財である尾崎獅子(熊)踊が行われます。
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巨石を意図的に植物で傘のように覆っています。
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狛犬と奉納馬。
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往古草創より幾星霜を経て、延暦年間、坂上田村麿将軍東征時、当地に寄り熊野権現を祀り社殿を建立。後に権現紀伊へ還御し一時中絶。
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文治年間、現宮司の祖嘉昌院一日奇瑞を感じ堂宇再建。その後、尾崎三郎右衛門領主となり社領を付して社殿を建立。
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寛永年間、津軽3代藩主信義公鷹狩りの際に当社へ参詣。再建。「青森の伝説」によりますと次のようにあります…『尾崎部落の浅井八幡宮は、源義家が勧請したという。寛永のころ(1630ごろ)、津軽藩三代藩主信義が鷹狩りに来てここを通った。八十歳ばかりの老人が大石の上に立ち、「社堂を再興せば、国中安穏、諸願成就す」と告げて姿を消した。信義は八幡宮を再建したが、八幡の化身とみられる老人の立った足跡のある大石を、神石といって、村人はあがめている』。
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宝暦年間、社殿を改築。
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安永5年(1776)、代官一戸半右衛門をして津軽越中守信寧公より尾崎組護穀神とし、伊勢内外両宮の御麻並びに鳴弦御祈祷の御お札ふだを奉納。また 七寸四方の御み樋ひ代しろを安置、御祈祷執行の上、組中渡御を例としました。
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明治4年村社。同14年、本殿拝殿を新築。同44年、現鎮座地に移転。
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昭和35年、拝殿改築、平成3年台風19号で本殿破損、境内樹木悉く倒伏。平成4年本殿新改築し、境内杉植樹。
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同13年には朱の大鳥居を建立して現在に至ります。
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土俵。
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観音堂。
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摂末社。
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神馬舎。
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中を確認することはできず。
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神社から少し離れた場所に尾崎城址の碑がありました。尾崎館の館主尾崎喜蔵は慶長5年に津軽為信に対して叛乱を起こし、金氏に討たれて滅亡。
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