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天正2年(1574)、東根の押さえのために津軽為信によって築城され、はじめ森岡金吾の居城となりますが、慶長5年(1600年)に金吾は津軽為信によって暗殺され、2代藩主信枚などが城主になったと伝えます。
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慶長10年(1605年)に廃城となりますが、寛政4年(1792)には福村城附きの足軽が召し抱えられ、安政5年(1858)には煙硝蔵も建設されるなど近世でも機能を果たしたといいます。
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現在は民家、幼稚園、福祉施設などが建ち、状況は変わっていますが、平成9年に発掘調査が行なわれて、北側堀跡と橋脚を検出しました。
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また、西北地区より平野部で初めて擦文文化の住居跡が発見されて、北方文化との関連を窺わせます。
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※築城年代は史料によって多少異なります。
ちなみに富岳神社北方付近が葛西氏の境関館跡地となっており、僅かに堀跡を残しています。
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ちょっと前までこの地区(第五城東などと呼ばれる地域)はすべて田畑でした。
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現在は弘前市の中でも最も開発が行なわれている場所。
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河川をうまく利用した城の痕跡は僅かに感じられる程度。
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あっ、かるがもの親子ー!!
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かわいい♪
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再訪記事:『福村城跡(弘前市)

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