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亀井山荘厳寺。

浄土宗で本尊は阿弥陀仏。


享和3年(1803)の寺社領分限帳によりますと、元々は転入山と号し、寛永9年(1632)の創立で良蒙が開山。新撰陸奥国誌では、亀井山と号し永禄元年(1558)廓存の草創とあります。寺号は転入山から亀井山へ変わったと推定されます。

天明3年(1783)7月の天明の大飢饉で深浦にも富商への打毀が起こりました。深浦村の百姓300余人が問屋の三国屋助左衛門、秋田屋惣左衛門らを襲撃し首謀者6人が入牢になったといいます。

荘厳寺23代住職であった聞岌は農民の窮状を救うため、9月に江戸へ赴き直接7代藩主津軽信寧へ訴えます。救援米の下賜を賜りましたが、僧侶にあるまじき仕業として同和尚は入獄し、法衣を取上げられて荘厳寺からは追放、出羽国能代の五智如来堂に身を隠して生涯を閉じました。このため荘厳寺歴代の僧籍に入っていないそうです。

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浄念寺。松林山と号し真宗大谷派。本尊は阿弥陀如来像。

文化15年(1818)の奥州津軽惣法中草創寺別帳によりますと、創立は天文11年(1542)で草創が祐心。祐心は弘前専徳寺の祐了の弟子。境内にある板碑一基(阿弥陀如来・阿)は吾妻沢付近の吾妻館跡から移したものと伝わります。

深浦湊は寛文9年3月11日に鰺ヶ沢とともに港口に灯明すべき幕命を藩から受け、大坂を基点とし瀬戸内海、日本海を往復する西廻海運の港として発達します。その後は太平洋側を通る東廻海運が開かれ、浄念寺に残された廻船御客帳によって、宝暦(1751-64)から明治3年(1870)まで全国からの船の入港状況を知ることができるといいます。これらの船は北前船・北国船と言われており、津軽ではベンザイ船と呼ぶそう。

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