
胡桃館村は天明3年(1783)の凶作以後1000石余が荒地となり、また天保5年(1834)には68石余が洪水被害を受けている村です。

天保年間(1830-1843)、浅瀬石川から取水する枝川母堰(現在の鶴田堰)と平川から取水する枝川足水堰(現在の鶴田堰)の水下に編成。

祭神は誉田別尊。延宝9年(1681)堂宮神主山伏乏覚に「下ノ切中野村、八幡宮、寛文6年(1629)村中氏子建立、神主栄太夫」とありますが当時は中野村にありました。


貞享4年(1687)検地水帳にも八幡社地が見えます。元禄年間(1688-1703)に堂舎破損のため、 胡桃館村観音堂へ相殿として祭ったと伝えます。

しかし文政2年(1819)の書上帳には「胡桃館村八幡宮一宇社司当所住工藤右膳」とだけ書かれており、観音堂には触れておらず、元禄から文政までの約120年の間に、主祭神の観音の位置を変えたものと思われます。更に明治の神仏分離令により、観音は取り除かれます。

…調べたんですが、淡嶋神社裏手にひっそりと観音堂がありました。


こちらの鬼コは子どもがトラウマになるレベルの怖さ(笑)

そして境内にはいくつかの鬼が隠れていますよ。

摂社淡嶋神社。



末社。

子宝銀杏。

庚申塔など。

蝉ってある程度高いところへ行って羽化するのよね。


この程度の高さならば当然一番高い顔の位置で羽化ってことになりますよね(笑)


コメント