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色んな意味で凄い案内標識(笑)
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駐車場から2つの経路があってどちらからでも行けます。
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『昭和10年、茨城県の磯原市(現北茨城市)から訪れた武内巨麿氏により、武内家の古文書をもとに発見されました。
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古文書によると、ゴルゴダの丘でゴルゴダの丘で磔刑に処されたのは弟のイスキリであり、キリスト本人は日本に渡り、ここ新郷で106才の天寿を全うしたというのです。
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向って右側がキリストの墓"十来塚"、向って左側が弟イスキリの墓"十代墓"と言われており、毎年キリスト祭では慰霊祭が行なわれ、ナニャドヤラの唄と踊りが奉納されます。』
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『イエスキリストは21才のとき日本に渡り12年間の間神学について修業を重ね33才のとき、ユダヤに帰って神の教えについて伝道を行いましたが、その当時のユダヤ人達は、キリストの教えを容れず、かえってキリストを捕らえて十字架に磔刑に処さんと致しました。
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しかし偶々イエスの弟イスキリが兄の身代わりとなって十字架の露と果てたのであります。他方、十字架の磔刑からのがれたキリストは、艱難辛苦の旅をつづけて、再び、日本の土を踏みこの戸来村に住居を定めて、106才長寿を以って、この地に没しました。
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この聖地には右側の十来塚にイエスキリストを、左側の十代墓に弟イスキリを祀っております。以上はイエスキリストの遺言書によるものと謂われております。』
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キリストの里伝承館。
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伝承館前にあったピラミッドのようなもの。
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中に入ると湘南平のテレビ塔のように願掛けの南京錠がたくさん。
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黄金比率についての説明図がありました。
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2011年とあるので比較的新しいもののようです。
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イスラエル国エルサレムの石。「この石はイスラエル国、エルサレム市と新郷の友好の証としてエルサレム市より寄贈されたものである。June6.2004」
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ちなみにこのキリストの墓には賛否両論あり、学術的には認められていません。
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賛成側は以下のような見解…
・古くは戸来村と言っていたことから「ヘブライ」が転訛したと考えられる。
・敷地の持ち主である沢口家の家紋がユダヤの紋章である五芒星(ダビデの星)に酷似している。
・以前、生まれた子供を初めて屋外に出すときは額に墨で十字を書く習慣があった。
・「ナニャドヤラ」という盆踊り歌の歌詞「ナニャドヤラー、ナニャドナサレノ、ナニャドヤラー」は日本語や方言でも理解出来ず、ヘブライ語で約すと「お前の聖名をほめ讚えん、お前に毛人を掃蕩して、お前の聖名をほめ讚えん」となる。
・方言である「アヤ」(父親)、「アパ」(母親)は、「アダム」「イブ」と酷似している。・足がしびれた時、人差し指につばを付けて額に十字を3回切る。
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反対側は以下のような見解…
・そもそも武内氏が訪れるまでこのような伝承や伝説、文献などは存在しなかった。
・村人にはキリスト教だけでなく隠れキリスタンも存在していなかった。
・「竹内文書」自体出所不明の偽書である。
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信じる信じないは貴方様の自由(笑)
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