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朝日山常福院のすぐ近くになります。かなり立派な注連縄。
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この地区には建武年間(1334~1339)創建の稲荷宮があり、中世末には横内城主堤孫六の館神となり(明応7年(1498)頃)、天正13年(1585)に横内城が陥落と共に廃社になりますが、寛文3年(1663)村中で産土神として祀り直しているようです。明治17年稲荷堂再建し稲荷神社に改名。棟札として享保19年(1734)4月、宝暦3年(1753)4月、弘化4年(1847)8月の3枚が残っているそうです。神事は村中安全のために、4月10日御神酒上げが執行されますが神楽に定例日はありません。
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安政2年神社書上帳によりますと、末社に薬師堂と惣染堂(馬頭観音堂)がありました。
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国誌及び神仏混淆神社調帳によりますと、明治初年に稲荷宮は大星神社に合祀され、薬師堂は久須志神社となり、惣染堂(堂社2尺5寸4面・棟札文政9年8月、嘉永4年4月)は廃堂なったそうで、よってこの稲荷宮はその後復社したのでしょうかね。また、末社として横内村伊勢講中で建立した神明宮があるそうですが見当たりませんでした。
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