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津軽三十三霊場第24番札所。
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本尊は慈覚大師作とも伝えられる聖観世音菩薩像。
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小金山神社社記によりますと坂上田村麻呂が白山権現を祀って、天慶年間に平将門の孫の信田小太郎が再興し、観音堂を建立したと伝えます。
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慶長5年には津軽為信が入内山華福寺として再建し、寺禄130石を与えましたが荒廃し、寛永18年に住民により観音堂が再建されたといいます。
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貞享3年には浦町組、油川組、後潟組、横内組で再建し、4か組の鎮守となりました。
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享和3年寺社領分限帳に正観音堂が見え、末社として白山宮と薬師堂が記されています。
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現在の堂宇は昭和20年代に焼失した後、昭和34年に再建と伝えます。
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観音堂の裏手を上っていくと薬師如来と阿弥陀如来を祀る小堂があります。
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更に上ったところに鳥居がありました。
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こちらが白山神社。
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小金山神社の社記によりますと、坂上田村麻呂が白山権現を祀り、天慶年間(938-947)平将門の孫である信田小太郎が再建し、白山権現社と観音堂を建てたと伝えます。
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八十一隣姫は菊理姫で白山神社の御祭神。
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かなり重厚なドアが設置されていましたが開けっ放しで御神体(菊理姫像?仏像と違って御神体=御祭神・神像とは限りませんが…)丸見えでしたよ。
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菅江真澄が『津軽の奥』にて「年を経た木立ちが茂りあっているなかに、二つ三つばかりの鳥居が並んでいるので、はいって詣でた。ここでも、大同のころに建てたといういわれを語っていた。坂をあがった左方に、ちいさな祠があり、くくりひめをあがめまつるという。この祠の内に朽ちた木像があった。また薬師仏の堂がある。銀杏の落葉をふみ、坂をくだってゆく左側の木々の間に、慶長としるした五輪塔があった。苔がふかく、誰がたてたものとも知られなかった。…(中略)…このみちのおくにたくさんある神社のなかで、その名がもっとも高く知られた黄金山の神を祭ったのはこの森であっただろうが、中昔のころ、宮を堂につくりかえてここに観音をすえたのであろう。」と記しています。
また、『すみかの山』にて「乳内(入内)について、かの円仁がつくられたという観世音の堂に詣でた。四百年のむかしは、白山のみやしろといって、山に八十一隣姫をまつったところであるが、いまはこの神を地主の神として、観世音菩薩を槻木館の主人隅田の小太郎という人が堂を建てておさめられたのだという。ここをこがね山の神社かと、かねてから推測していたが、あやまりだったので、そのことはしるさない。」と記しています。
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