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御祭神は天之日鷲命、日本武尊。一般に「おとりさま」と呼ばれています。
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社伝によりますと天照大御神が天之岩戸にお隠れになり、天宇受売命が、岩戸の前で舞われた折、弦という楽器を司った神様がおられ、天手力男命が天之岩戸をお開きになった時、その弦の先に鷲がとまりました。
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神様達は世を明るくする瑞象を現した鳥だとお喜びになり、以後、この神様は鷲の一字を入れて鷲大明神、天日鷲命と称されるようになったそう。
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後に日本武尊が東夷征討の際、戦勝を祈願し、その帰途で社前の松に武具の熊手をかけて勝利を祝ったと伝え、お礼参りされました。
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その日が11月酉の日だったので、この日を鷲神社例祭日と定めたのが酉の祭「酉の市」。
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酉の市(古くは酉のまち)は江戸時代から年中行事で、縁起物の熊手が売られます。
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明治維新前は下谷田圃の日蓮宗長国寺の境内社鷲大明神で、上総国長柄郡鷲山寺から勧請したもので、本地は妙見菩薩と伝えていました。神仏分離令により鷲大明神社から鷲神社へと改称。
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社殿正面の巨大おかめはインパクト大!
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なぜこんなに汚れているかと言えば、「なでおかめ」と呼ばれていて、撫でる部位によって様々な御利益を授かることができるのです。
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瑞鷲渡殿。
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渡殿から続く神楽殿。
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裏手から本殿。
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俳人其角の句碑「春をまつことのはじめや酉の市」(左)と、正岡子規の句碑「雑閙や熊手押あふ酉の市」(右)。
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樋口一葉文学碑。
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樋口一葉玉梓乃碑。
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樋口一葉文学碑と樋口一葉玉梓乃碑の建立由来が刻まれた碑。
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