
古くは岩木山を奥社とする下居宮が十腰内に建立されていましたが、寛治5年(1091)に岩木山神社が勧請されたことで祭祀が移り、その跡地には厳鬼山御西方寺観音院が開かれ巨石大石明神の信仰が高まりました。

貞享4年検地水帳によれば、大森村の西南、岩木山山麓に大石神社があり、慶長17年(1612)津軽信枚が十一面観音を勧請したのがはじまりとされています(青森県神社庁では津軽為信が慶長年間に十一面観音を勧請とあります)。

御祭神は高皇産霊神、神皇産霊神。

御神体である大石(磐座)は陰陽石であった為子授け安産の神、縁結びの神として信仰を広げました。高皇産霊神と神皇産霊神を御祭神とするのもその絡みかと思われます。その後大石神社は一時衰退。

元禄5年(1692)広須組木造組衆が再興。

正徳5年(1715)京都左京区吉田山にある吉田神社から神明号を与えられて大石大明神に。

享保4年(1719)津軽信寿が再建。宝暦8年(1758)再建。弘化7年(1850)修復。

明治2年に大石神社に改称。

明治6年鬼神社へ合祀、同8年に復社。

昭和5年再建。

菅江真澄が外浜奇勝に次のように記しています。

「野中に松の一郡たてるは大石明神とて、 御前に大なるふし岩、 たち岩のあるあはひに、 石割松、 いしわり杉の生たり。 その大杉の下枝に紙をひしひしと結び付けたり。 こは乳の乏しき女の願ひ、 はた、 懸想しける願ひもありて、 おもひあふいもとせのなかのいく世を、 杉のもとつ葉の、 かはらぬ験をうるとなん」

縁結びや安産の神とされているのも頷けます。社殿前には男性器の形をした松の枝もあります。

そういえば菅江真澄は大石明神の社前で雨宿りをしたという記録もあった気がします。

拝殿横馬の厩は圧巻。

安産や雨乞い用の儀式に関連するとか。


龍神御鎮座所と大石川。


本殿の裏手に磐座があり、御神体として祭られています。


これは岩木山登拝口の赤倉山霊界との境界石とも言われており、千曳岩といいます。ちなみに古事記で伊邪那岐が黄泉国の伊邪那岐から逃げ、現世と黄泉国を塞いだ岩を千引岩といいます。

本殿の前に石の獅子頭がありました。

水を汲みに訪れている方がたくさんいます。名水なのです。


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