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ズンッズンズン ズンドコ♪
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きよしっ!
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ズンッズンズン ズンドコ♪
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きよしっ!
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って、本当に氷川きよしの芸名の由来の神社なんです。
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狛犬の頭に木が…(笑)
当神社の境内には7対の江戸獅子型の狛犬が残っています。いずれも石製で、その多くは祭礼や式典に合わせて奉納されたことがわかっており、赤坂とその周辺の人々の信仰を集めていたことを物語っています。
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旧府社。御祭神は素盞嗚命・大己貴命・奇稲田姫命。例祭日は9月15日。
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8代将軍徳川吉宗が建立させた古刹。
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赤坂台地の南部丘陵に鎮座。江戸の一等地とも言える場所。
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天暦5年(951)武州豊島郡一ツ木村(人次ヶ原)に祀られ、その創祀以来、地域の信仰篤く、村に鎮座していました。創祀から100年後の治暦2年に関東では大旱魃が発生し、降雨を祈願するとそのしるしがあり、以来よく祭事が行われました。
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江戸時代に入り、幕府の尊信は篤く、8代将軍 徳川吉宗公が享保元年(1716年)、将軍職を継ぐに至り、享保14年(1729)吉宗公が老中岡崎城主水野忠之に命じ、紀州徳川家の産土神として赤坂今井台の現在地に移して修造。翌15年(1730)4月26日に遷座が行われており、28日に将軍直々のご参拝がありました。以降、14代家茂公まで、歴代将軍の朱印状(港区文化財)が下附されました。
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社地は播磨赤穂藩主浅野長矩夫人瑶泉院の実家であった備後三次藩浅野家屋敷跡。忠臣蔵で有名ですね。
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境内にはたくさんの樹々が生い茂り、至るところに江戸の年号が刻まれた鳥居・燈籠・狛犬が現存し、江戸の情景がそのまま残る都内では珍しい神社のひとつとなっています。また、神社を挟むように本氷川坂氷川坂があります。
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古くは氷川明神と称しました。
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太鼓橋。
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角がなくなった河童タイプ狛犬。
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ここに賽銭入れる人いるよね(笑)
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社殿(本殿・拝殿)は享保15年築造で都指定文化財(昭和51年)。総欅造り銅葺朱塗にして丹青荘重の一間社流造であり、安政の大地震・関東大震災・東京大空襲の被災を奇跡的に免れ、江戸時代当時のままの姿を残しています。本殿(三間社流造、瓦棒銅板葺、両脇回廊付・幣殿(桁行2間、梁間1間)・拝殿(桁行5間、梁間3間、入母屋造、瓦棒銅板葺、高欄回廊付、向拝1間軒唐破風付)の3つの建物が一体となった、いわゆる権現造の形式を伝えています。建築当時は倹約政策がとられていたため、社殿にも当時の質実かつ簡素な気風が表れていますが、将軍の寄進だけあって、大きな雲形組物や吹寄せ垂木など軽快な意匠を取り入れる工夫も施されています。
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社蔵の紙本着色神馬額絵二点と同獅子額絵も同文化財。
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都内有数のイチョウの巨木(樹齢400年、目通りの幹径約2.4m、幹周約7.5m。)があります。
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享保15年(1730)には既に樹齢100年を越え、現在地にあったといいます。区内では善福寺の逆イチョウ(国指定天然記念物)に次ぐ大きさと樹齢を保っています。
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額堂。
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ここには火消しの出動を描いた『ま』組火消し絵馬(明治12年)などが残ります。
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筆者月岡芳年。「ま」組は、江戸時代の町火消の組織で、五番組に属し、赤坂表伝馬町・同裏伝馬町・赤坂田町・元赤坂町・麻布今井町周辺を管轄していました。絵馬には「ま」組の鳶人足たちが纏や提灯・梯子などを担ぎながら火事場に向かうところを描いており、緊張した雰囲気が活き活きと表現されています。この肉筆絵馬を描いた月岡芳年(1839-92)は、嘉永3年(1850)に浮世絵師歌川国芳に入門し、武者絵や役者絵・風俗画などを描きました。
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収蔵庫。
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神楽庫。
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祭器庫。
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力石。
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境内土中から発見されたもので三十五貫(約130kg)です。港区の力石は海沿いに残されているのに対し、この1点だけが海岸から離れたこの地にあったという。
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灯籠。境内には、奉納された石製の古い台灯籠が多く残っていることで知られているます。最も古いものは、遷座以前の一ツ木町時代の享保9年(1724)に氏子の町々から奉納されたようです。
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四合稲荷神社。
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御祭神は宇迦之御魂神。
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四合稲荷には現在7社の稲荷が合祀されています。明治31年(1898)に①古呂故稲荷、②地頭稲荷、③本氷川稲荷、④玉川稲荷の4社を合祀し、神社にゆかりの深い勝海舟によって「四合稲荷」と名付けられたことに由来。その後、大正14年(1925)に⑤鈴降稲荷と⑥縁起稲荷を合祀し、さらに昭和9年(1934)に⑦明徳稲荷を合祀しています。これらはいずれも江戸時代から存在し、かつて氏子町に鎮座していた経緯があります。
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勝海舟によって四合稲荷と称えられ、勝海舟筆の『四合稲荷社』の扁額も現存。
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西行稲荷神社。別名火伏せ稲荷。
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小さな塚となっており、塚の麓には狐穴があります。っていうか、慣れない携帯撮影のため、ブレまくり!
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享保年間、田町5丁目(現在の赤坂3丁目付近)に西行五兵衛という者がいて、榎坂を通行中に三寸程の稲荷の御神体らしき像(甲冑を身にまとい、弓矢を携えて狐に乗った姿の三寸程の鉄の像)を拾って勧請したために名付けられてました。御神体は後に紛失しており、代わりに錦の布に包まれた長さ6寸、幅2寸ほどの木箱を祀るようになりました。
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町の発展に伴い、大正10年氷川神社境内に遷宮し、別名「火伏の稲荷」ともいわれ、火災除のご利益があるといわれています。毎年5月に田町三四五町会が中心となり例祭が行われます。
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九神社。かつて境内各所にあった天祖神社・春日神社・鹿嶋神社・八幡神社・諏訪神社・秋葉神社・厳島神社・金刀比羅神社・塞神社、以上の九社を合祀したお社。9社それぞれへの遥拝所的な要素があります。戦前は現赤坂小学校にありましたが、戦後境内に遷されています。
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山口稲荷神社。由緒不明。赤坂3丁目の山口邸から戦後に遷座。
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桶新稲荷神社。由緒不明。赤坂5丁目の桶屋から戦後に遷座。
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