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津軽三十三ヶ所観音霊場第十四番札所。本尊千手観音。
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慶安3年(1650)創建。尾別神明宮の左の階段を使って胡桃館へと上って行きます。菅江真澄は5月頃にここを通り、あちらこちらにホトトギスが鳴いていたと記しています。
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階段途中に稲荷様。
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コンクリプロック石灯籠…
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かつて尾別観世音は尾別集落から東へ4kmの尾別川上流の滝の近くにあり、観音山解脱院と呼ばれていたそうです。
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幕末(建立年月日不詳)には飛龍大権現を祀る飛龍宮になります。
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元文3年再建。神仏分離により明治6年(1873)神明宮を分立。明治6~8年の間は高根村稲荷社に合祀。以降観音堂は廃れましたが、明治43年(1910)再興。
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御詠歌
「万代を祈りてこそは今爰に千手の誓ひたのもしきかな」
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天台宗 解脱山 弘誓寺。本尊釈迦如来。江戸以前の創建。慶安元年(1648)産土として胡桃館下に再建。昭和4年海野円海が解脱庵本尊を安置して観音霊場寺創立。昭和19年現在地に移転。昭和21年弘誓寺と改称。
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観音堂の裏手へと向ってみました。
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建物が見えてきました。
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集印所でしょうか。
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中には誰もいません。
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中泊博物館で頂いた「中泊町史跡・文化財マップ」では尾別観音堂と弘誓寺は別に紹介され、弘誓寺にはこの写真を使用して紹介しているのでかなり戸惑いました。
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本尊如来坐像のほか、近くの苗代から出土した懸仏などが町有形文化財に指定されています。
弘誓寺如来坐像。
合掌姿の両腕並びに膝前部は近世以降新しく補修されていますが、主要部の制作年代は室町時代と推定。尾別川上流の滝の上にかつて在った解脱庵の本尊と伝えられています。解脱庵は創建不明ですが、18世紀後半以降に廃寺となったと推定されています。
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弘誓寺銅鐘。
銘「施主 古河次五兵衛、中村里右衛門、木村新九郎、古河傳之丞 大正十年旧八月十四日改鋳 尾別村 宝暦四甲戌年八月十五日」「尾別村 解脱庵 玄身 願主 米屋七兵衛」「東京市梅田製」から、宝暦4年(1754)製作の解脱庵銅鐘を、大正14年(1925)東京市において鋳なおしたものと考えられる。なお米家は尾別宮越家の屋号。
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弘誓寺双盤。
享保13年(1728)製作の鋳銅製の鉦です。かつて尾別川上流に所在した寺院解脱庵の什物と伝えられています。銘「尾別村庵住雲心代 施主惣檀中 享保十三戌申年五月吉日 弘前住吉田長五郎作」と刻まれています。
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弘誓寺懸仏。
弘誓寺のある台地西麓の苗代から明治30年代に出土したと伝えられている鋳銅製の懸仏。揚柳枝が挿された花瓶から、揚柳観音を表現したものと考えられます。平安時代末頃に出現した懸仏は、南北朝から室町時代にかけて盛行し、青森県内では50面ほど確認されているそう。
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