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さてさて、猿賀神社探索シリーズの最後です(笑)
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「猿賀石は旧猿賀字石林39番地から明治36年に移されたもので、古代人の巨石崇拝の遺物であると推定され、元あった場所は古代人の斎場遺跡と考えられ、猿賀・石林の地名もこれから起こった。丑石は字明堂238番2号地の丑盛から明治36年に移され、牛が臥した形からこの名が起った。丑盛の周辺には新山本明寺熊野三所権現社があった事が古文献により明らかにされ丑盛は往古斎壇であった形跡がある。昭和60年5月建立」
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縄文の昔から猿賀は巨石信仰の聖地で、のちにその猿賀石を中心に盛塚や坊が修験者らによって作られて南北朝の頃に一大斎場となったといいます。
また、青森の伝説(森山泰太郎・北彰介)によりますと次のようにあります…『(前略)猿賀神社は、岩木山神社とともに津軽の農民の信仰が厚い。神社の由来は坂上田村麻呂の伝説と結びつく。田村麻呂が蝦夷を攻め苦戦したとき、仁徳天皇のころ蝦夷平定に下って戦死した田道将軍の神霊の助けを得て、大勝利を得た。そこで田道将軍を祭って創設したのがこの神社であるという。境内に猿賀石という巨石がある。田村麻呂が蝦夷の長を打ち、その首を埋めたしるしの石だといい、石の表面に馬蹄形の跡がある。』
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記念物孔雀かしわ。
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「この孔雀かしわは本州北部に自生するかしわの変種で現在日本では数本しかないと言われている。樹齢は百年で発見者は小島繁寿先生、命名者は牧野富太郎博士である。」
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忠魂碑。
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神恩無窮。
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地図の緑で囲んだところ。
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盛美園
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