猿賀神社及び盛美園裏手に「弥生遺跡」「小田崎」「五ツ盛」「七坊跡」とあります。

田舎館の弥生垂柳遺跡は有名ですが、弥生人が住居したのは高台と言われています。それが猿賀の高台。さて向ってみましょう。

盛美園の庭の構造は中央部分には木々が無く、裏の田園遠くの山々を借景にしている構造ですが、その借景側から見るのは初めてですね(笑)


裏にはこのような小さな丘がありました。

弥生遺跡と書いている辺り。

石垣で囲まれ、木が何本も植えられ、上には座るのにちょうどいい切株。

その丘のすぐ向かい(盛美園の庭に隣接)に猿田彦大神の鳥居。



祠はなく庚申塔などが祀られています。



境内にあった鳥のモニュメントが意味不明。

八咫烏なのかな…足は2本だけど…。

羽だけは本物を使っているようで不気味。

地図(青で囲んだ所)にも庚申塔が書かれていました。

墓所横の交差点に石碑が建っています。

上記地図(赤で囲んだ所)にある追分石のようで、右「猿賀神社」、左「猿賀村・尾上町」の方向が記されていました。


猿賀神社裏手付近の墓所。この盛り上がっている土地に案内看板がありました。

「遺跡小田ノ森。古図に大丹森とあり夷賊酋長大丹丸(大丈丸とも)の首塚があったことから此の名が起ったと言伝えられ古墳塚が5基と七坊あった。昭和35年に古銭10,467枚、焼失屋敷、焼米、鉄製品が出土し、古銭の下限から鎌倉末期に埋れたものと推定されている。この地は縄文から歴史時代に至る遺跡包蔵地帯でもある。昭和59年5月9日建立。」

「盛美園」

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