
標柱は百石町展示館前にあります。

「慶長16年(1611)弘前城築城当初の武士居住区の多くは、単に侍町と呼ばれ、当地もその一つでした。当時の百石町は現在の馬屋町の一部につけられた町名で、後に二百石町と改称されるにおよび当侍町は新たに百石町と名付けられ現在にいたっているものです。」

百石町展示館。


市指定文化財。明治13年(1880年)に1,064戸を焼失した弘前大火を教訓に、「燃えない建物を」と、明治16年(1883年)宮本甚兵衛が土蔵造りの建物を「角三」呉服店の店舗として新築。

大正6年(1917年)、津軽銀行(昭和18年青森銀行に合併し青森銀行津軽支店)が買い受け、当時の呉服店によく見られる入り口開放部分の一部を残して壁面にし、下屋を取り除いて窓に鉄扉を取り付けるなどの必要最小限の改装を加え銀行本店として平成10年10月まで営業。現在でも2階からは土蔵倉庫に漆喰工法で表示してあった「角三」の 屋号を見ることができます。

建物は平成13年(2001年)4月に青森銀行から市に寄贈され、保存活用の整備を行い、平成16年4月に展示館としてオープン。

平成18年4月から指定管理者制度の導入によりNPO harappaが管理業務をしてます。

館内には「西洋茶寮サロン・ド・甚兵衛」のハヤシのルーツは百石町にあった「レストランニューヒロサキ」だとか。

斜め向かいのかだれ横丁など。パチンコ21世紀だった記憶(笑)


向かいには東映の映画館がありました。

東映といえば漫画まんがまつりですが、私が最も記憶に残っているのは「はいからさんが通る」。なぜ記憶に残っているのか…同時上映が「ビー・バップ・ハイスクール高校与太郎狂騒曲」だったからです。

もう少し組み合わせ考えるべきだと思いませんか?(笑)

結構飲食店が多いですね。



昔の百石町の写真。賑わっていますね♪

さてブラブラしてみましょう。

そういえば前はこの辺りに来々軒があったんですものね。


交差点のところにあった無印良品は結構人が入ってたイメージなんですけどねぇ。

大和屋付近にはかつてバッティングセンターもあったそう。


百石町小路に向ってみましょう。この角に娯楽湯がありました。

昭和10年地図にもあります。

砂利道が懐かしい。この通りにはかつて中央保育園、小野洋服店など…

お食事処稲穂は残っていました。

砂利道小路を抜けたら看板が残っていました。

某タクシー運転手の話ではローラースケート場が釣具屋の斜め向かいの現駐車場付近に30数年前頃まであったそう。


私は年齢的にまったく存じませんけど。



一昔前の写真を見つけたので、おおよそ同じ位置から写真を撮ってみました。

う~ん…

あまり変わりませんね(笑)

最後にこちらの写真。明治39年頃の百石町の凱旋門です。明治38年ポーツマス条約によって終結した日露戦争にて地元の第八師団が活躍したことから市内の各町ではこぞって凱旋門を建てて戻った兵士を歓迎したそうです。

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