昭和10年古地図の元寺町にある小さな神社を目指しました。

「中華料理 香月」…

時代を感じます。

サンクスの辺りには東宝、スカラ座という映画館がありました。「スターウォーズ」「ゴーストバスターズ」、「ネバーエンディングストリー」、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」等々、数多くの話題作が上映されました。

明治5年に旧高屋敷跡に弘前消防組頭5人が共同出資して劇場柾木座が作られ、同13年に火災になり、1064戸を焼く大火となりました。

後に復興した柾木座は壮士芝居などが上演され、歌舞伎、女義太夫、新派劇なども上演、しかし大正6年に再び出火して全焼。大正8年に弘前座と名前を変えて復興し、昭和15年から東宝映画劇場となりました。

向かいにも映画館弘前オリオン座のオリオン1・オリオン2、松竹がありました。ちなみにサンクスはオリオンの方がやっているそうな。

建物の一部が再利用されて残っています。

こんな狭い区域に5つの映画館。弘前は映画館天国だったんです。

昔の東宝裏手になる飲食店通り…

中国大飯店方面・ステーキハウスバッファロー方面へ。

昔は賑やかだったのでしょうね。

ありました…

榎稲荷神社。


かつてはエノキが境内にたくさんあったのか…

はたまたエノキの大木があったのかも知れません。

南朝の落人僧の墓にまつわる伝承を持つ祠が後に改築されて以来榎神社と呼ばれて商売繁盛の社となりました。

元寺町から下白銀町までの横町は通称榎小路と呼ばれます。


灯籠に昭和13年7月15日とありました。

「yuki散歩 part2」(元寺町標柱・「旧高谷家別邸・石場旅館・日本基督教団弘前教会教会堂)



コメント
コメント一覧 (2)
本文:弘前の榎神社。歴史の痕跡のご紹介、ありがとうございます。
南朝の歴史に興味を抱いていました。遡れば、鎌倉時代も最末期、元徳三年春のこと、桜花散る中、西園寺家の第(のちに室町時代になり金閣寺となる)に後醍醐天皇が御幸遊ばされ花の宴が開かれました。帝に伺候されていた北畠顕家卿は陵王を舞いました。見るも幼気な十四五歳、その凛々しいお姿に感動された帝は笛をおん手に舞にあわせお吹き遊ばされたとのこと。これをもって平安からの雅は最後となったと伝えられています。まさしく元弘の変の前夜と言えます。増鏡、舞御覧記にしるされた平安からのこの雅な宴はこれが最期となったと言われています。これより2年を経ずして、後醍醐天皇の腹心の臣である北畠顕家卿は国司として帝の御子を奉じて津軽へと赴き浪岡に御所を構えました(津軽一統志)。やがて室町時代へ。更に戦国時代を経て、江戸時代へと。ご紹介のこのお写真にその一大ロマンの一コマを見る思いがいたします。いつぞやは、弘前の郊外、猿賀神社に詣でたおり、十五夜の祭典で聞いた雅な笛の音が、津軽野に響き渡り、私には、月の都に届けとばかりに、あの感動が未だ私の肌を震わせています。津軽人ツガルビトの美しさよ、永遠なれ。
yuki
が
しました