津軽三十三観音十五番札所。
本尊は千手観音。
場所がわかりにくいです。っていうより気付かずに素通りしてしまう可能性大(笑)
私はかなり通り過ぎて、中里町文化財マップにある明治百年植林記念碑・薄市甲子塔、忠魂碑がある薄市墓地にまで行って引き返しました。ぐわっ。
あっ、杖だ。
このパターンはドキドキします…
どんな勾配が待ち受けているのか。
最初に御目見えするのは大山津見神社。
山の神神社とあります。
薄市観音堂は元禄元年(1688)創建説がありますが、貞享4年(1687)の検地水帳にあり、それ以前の創建と考えられています。
隣村の今泉にある千手観音を分祀したといわれています。
幕末には飛龍大権現を祀る飛龍宮となりました。
御詠歌…「まんまんと眺めにあかぬ十三の潟千里をここに待観世音」
階段改築記念碑…
最初の方は階段となっていますが、途中からは階段は無く山道です。
「お願い!!御参拝の皆様へ。此の参道は大変すべりやすくなっております。ご注意ください。頭上落下に注意。観音堂氏子一同」
頭上落下(( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
頂上付近には江戸時代に神明宮が建っていたと言われます。
延享年間(1744-1748年)までは、三十三霊場に名が無くて、寛延4年(1751年)に15番として出てきます。現在地とは別な高台の頂上にあったとも伝わっています。昭和45年に観音堂再建。
菅江真澄の本に次のような内容がありました。
「くだって森の下道にはいると、八幡の神社があった。ここから薄市という村のなかの田の沢川の橋をわたってゆくと、そびえたつ高い山の頂上に観世音がまつってあった。よじのぼると、十三の湖の水面が、あちらこちらの木の間から眺められて、たいそう涼しかった。過ぎてきた中里村に薄市山弘法寺という寺があったのは、この薄市からうつしたのであろう、ここに寺のあとと思われるところがあった。」
寛延巡礼記には次のように書かれています。
「御堂、村のしもにあり。十二丁ほど登り、観音堂あり。三尺四方、南むきなり。勢至観音。御山より十三の潟みえる。川々。舟々。材木の流れ、ことごとく見え申し候」
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