曹洞宗、本尊釈迦牟尼仏。
慶長元年(1596)繁翁茂の開基、後に寛文7年(1667)、弘前藩の命により弘前の太平山長勝寺十四世聖眼雲祝を勧請開山とし寺観を定めました。
更に文化8年(1811)愚全和尚が中興したとされています。
昭和44年(1969)二十三世無為哲三和尚が重興し、現在の総ヒバ造りの本堂を構えます。
現在の山門は享和3年(1803)、金木屋武田家(九戸の乱後、この地に逃れ土着した旧櫛引村領主、開基となった繁翁茂和尚は武田家の随行者)が寄進したもの。
一対の武田菱の紋があります。
三間一戸、入母屋、銅板葺きの楼門建築で上層部は吹き放しの鐘楼堂。
明治38年の火災で破損した梵鐘は正徳5年(1715)の銘を持っていたといいます。
下層部の両側には仁王像が安置されています。
「皇風永扇佛日増輝」の石碑とその説明。
石碑を四方から支える獅子。
樹齢500年以上の老赤松。
雲祥寺の歴史を長く見守ってきた貴重な存在です。創建以前からこの地にあったそう。
雲祥寺地蔵堂。
こちらは奥津軽大観音。
総丈約10m。
平成13年11月11日完成。
『津軽』にもある故郷に贈る太宰の言葉。
「汝を愛し、汝を憎む」
後生車。幼い太宰が日が暮れるまで回したと『思ひ出』で述懐しています。
「そのお寺の裏は小高い墓地になつてゐて、山吹かなにかの生垣に沿うてたくさんの卒塔婆が林のやうに立つてゐた。卒塔婆には、満月ほどの大きさで車のやうな黒い鐡の輪のついてゐるのがあつて、その輪をからから廻して、やがて、そのまま止つてじつと動かないならその廻した人は極楽へ行き、一旦とまりさうになつてから、又からんと逆に廻れば地獄へ落ちる、とたけは言つた。」
寺宝「十王曼陀羅」。通称「地獄の掛図」。作者は不明。
製作年代は巻一の新死の風俗、針の山の美人の風俗から江戸時代初期の終りから中期の初め頃かと推察されています。寄進者は加藤宇兵衛。墓石は現存しますが死亡年月日不詳。
太宰治の作品『思ひ出』により紹介されていて、太宰文学研究者、愛読者の見学が非常に多いと言います。私もその一人。
『思い出』より…
「六つ七つになると思い出もはっきりしている。私がたけという女中から本を読むことを教えられ、二人で様々の本を読み合った。たけは私の教育に夢中であった。…たけは又、私に道徳を教えた。お寺へ屡々連れて行って、地獄極楽の御絵掛地を見せて説明した。火を放けた人は赤い火のめらめら燃えている籠を背負わされ、めかけ持った人は二つの首のある青い蛇にからだを巻かれて、せつながっていた。血の池や、針の山や、無間奈落という白い煙のたちこめた底知れぬ深い穴や、到るところで、蒼白く痩せたひとたちが口を小さくあけて泣き叫んでいた。嘘を吐けば地獄へ行ってこのように鬼のために舌を抜かれるのだ、と聞かされた時には恐ろしくて泣き出した。」
さて、現在の薄市小学校付近は寺屋敷跡であり、かつては雲祥寺・実成寺(弘法寺)があったと伝えられています。
雲祥寺は正保2年(1645)金木村へ、実成寺は延宝元年(1673)中里村へ移転したそうです。
痕跡はありませんでした。
最後に地獄絵略説。
●巻一 泰廣王(本地仏 不動明王)
絵図左上の新死によって死出の山の山登りから始まる。道の両側に桜が咲いているが、桜は古来よりこの世とあの世の境目に咲く花と言われている。下り坂になると花は散り木は枯れているが、これは死者が冥土に着いたことを表している。冥土ではまず葬頭河の婆に会う。別名脱衣婆ともいい、亡者から衣服を取り上げる。衣服とは着衣のみならず、現世における名誉財産など、亡者の持っていたすべての物の総称である。いわゆる”はだか”となって十王の裁きと地獄の責め苦をうけることになる。希に罪軽くして雲や蓮華台に乗り極楽へ行くものもある。
●巻ニ 初江王(本地仏 釈迦如来)
この巻には”賽の河原地獄”がある。十歳に満たない子供が河原の石を積んで回向の塔を作るのが初江王から課された贖罪の仕事で、それを崩して責めるのは地獄の鬼。慈悲の救いの手をさしのべるのが地蔵菩薩。
●巻三 宋帝王(本地仏 文殊菩薩)
畜生、修羅の地獄と殺生の地獄。
●巻四 五官王(本地仏 普賢菩薩)
壮絶な地獄の責めの図。
●巻五 閻魔王(本地仏 地蔵菩薩)
太宰治の作品「思ひ出」に出てくるのがこの巻。しらを切っていたのが”浄玻璃の鏡”によって罪を明らかにされる。嘘をついた罪で舌を抜かれる。タケから説明され幼い修治の心に深い印象を残し、太宰文学の原風景と言われる一巻。閻魔大王の左には泰山府君と黒闇天女、左下には釈尊の弟子神通第一目連尊者の母対面の様子が描かれている。
●巻六 変成王(本地仏 弥勒菩薩)
同じく地獄の責め。左下には酒の滝があり、溺れ苦しむ酒亡者が描かれている。
●巻七 大山王(=泰山府君)(薬師如来) 平等王(観音菩薩) 都市王(勢至菩薩) 五道転輪王(阿弥陀如来)
四王と四仏がまとめて描かれている。中ほどに衆僧によって諸亡者供養の様子が描かれている。供養の功徳によりつぎつぎと亡者が成仏してゆく。その下に両頭蛇の地獄図がある。不邪淫戒を犯した男が双頭の女にからまれて苦しんでいる。
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