
江戸総鎮守神田明神(神田神社)。
ご存知とは思いますが見所の多い神社です。
すべてを紹介・説明するのは大変なので、詳細は神田明神HPをご覧下さい♪

天平2年(730)創建と伝え、現在の大手町にあった歴史深い古社。

平将門公の首塚が百歩の地にあり、延慶2年(1309)に将門公の霊を合祀し神田明神と名付けられます。元和2年(1616)に現在地へ遷座し、江戸城の艮鬼門の守護神として歴代将軍の尊崇厚く江戸総鎮守となります。

ブラタモリ「江戸の食」の回にも出てきた有名老舗店、天野屋の「明神甘酒」です。

隨神門。

昭和50年に昭和天皇御即位50年の記念事業として再建。

総檜・入母屋造。二層建て・屋根は銅板瓦棒葺。


外回りには四神(朱雀・白虎・青龍・玄武)、内側には「因幡の白兎」など、だいこく様の神話をモチーフにした彫刻を飾っています。


平成10年の『平成の御造替事業』によって鮮やかに塗替えられました。


外側正面に隨神像を配し、右は豊磐間戸神、左は櫛磐間戸神を安置。

この像は熊本城域内の樹齢500年の楠で加藤清正公お手植えと伝えられているものを使用。

一木造。長崎平和祈念像制作者として有名な北村西望氏の監修。松下幸之助氏奉納。

将門神輿、千社札納札所、手水舎。

御百度石。

だいこく様尊像。昭和51年完成。高さ6.6m、重さ約30tで石造りとして日本一のだいこく像として建立。

えびす様尊像。

海の仲間(イルカやタイやトビウオ)に守られて大海原を渡られるえびす様のお姿が造形されています。


鳳凰殿。

神札授与所と参集所をあわせ持つ鳳凰殿。

御社殿前から望む鳳凰殿。

祭祀殿・資料館。

祭務所、神楽殿。



獅子山の石獅子(夫婦2頭・千代田区指定有形民俗文化財)。

獅子山に乗る石獅子は武州下野の名工石切藤兵衛(別名・油売藤兵衛)が生涯でわずか3つしか造らなかったものの中の1つと伝えられ、3つの獅子は「坂東三獅子」として有名でした。

能の出し物『石橋』にちなみ、親獅子が子獅子を谷底に突き落とし、這い上がってきた子をはじめて我が子とするという内容を造形化。

江戸時代でも幕末期に製作されたと考えられ、かつては神社境内参道の両脇に岩組の石獅子として据えられていましたが、関東大震災により崩壊し子獅子を紛失。

親獅子2頭を保存していましたが、今上天皇陛下ご即位を奉祝し子獅子を新調し新たに獅子山として建立。

狛犬です。


狛犬の後ろにある四角い鉄製天水桶(弘化4年(1847)奉納)。永瀬源七鋳造。お笑い芸人宮川大輔の母方の先祖(5代前)らしい。

御社殿(国登録有形文化財)。江戸時代建立の社殿。

昭和9年に竣功。権現造。当時としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリート・総朱漆塗の社殿。
本殿・幣殿・拝殿さらに神饌所・宝庫が重なり合うように造られており、昭和初期の神社建築では新しい形式を持ちます。

伊東忠太・大江新太郎・佐藤功一といった近代神社建築・都市建築を代表する建築家により設計されました。小屋組を鉄骨にして荷重を軽減し、柱間を少し狭めるなどして木造建築の姿に近づけ、鉄骨鉄筋コンクリート造ということを感じさせない工夫が施されています。

拝殿の手前を土間にし、その先を畳敷きの床にすることによって、参拝者が靴を履いたまま立って拝礼できるとともに、神職が床において祭式を行うこともできるという、現代社会に対応した構造が、昭和初期の段階で採り入れられています。 昭和20年の東京大空襲にも耐え抜きました。

平成元年に、参拝者の増加に伴い、本殿右脇にエアコン完備の「奥御殿」を造営。更に、平成の御造替事業(平成6年~11年)により、全面的に塗替・修復が行われ美しく甦りました。江戸開府400年記念の年・平成15年9月、国登録有形文化財に登録。

ちなみに、現社殿の前は、天明2年に江戸幕府によって造営。木造で権現造・総朱漆塗。江戸時代後期の神社建築を代表する社殿であったと言われています。社殿内には江戸幕府造営を象徴する徳川将軍家の葵の御紋が見えます。

コメント
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yuki
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