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御祭神は誉田別命。由緒不詳。
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社伝に依りますと創建は人皇30代敏達天皇の御代まで遡りますが伝説の域を出ません。別当は国上寺埠頭蓮性院でした。明治初年の神仏分離により移転。
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津軽郡が大津波のため入海となった際、入水を祓退けたことにより不浪寄八幡宮と称されるようになります。
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参拝者は船によって往来し、その古跡が今もあり、その時船を繋いだ所が船岡森と称され、又、碇石として天保年間(1830-1844)の頃までは柵がめぐらされていましたが、近年は石だけが残っています。
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また坂上田村麿東夷東征の際、自ら大神の尊像を彫り、堂宇建立されたと云い伝えられます。
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天正年間(1573-1592)、津軽土佐守藤原朝臣が御堂を建立し、以来度々再建修造されたといいます。
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神仏分離令により弘前八幡宮へ合祀されて、明治6年には古懸村に復社遷座され現在に至ります。
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この地が度々山津波や洪水などが起こり、まるで川が怒っている様から怒ヶ堰とも言われ、これが碇ヶ関の地名の由来になったと言われています。
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拝殿の横に十和田順礼の会奉納(昭和61年4月)とありました。
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薬師如来。
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山神宮など。
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