明治29年に陸軍第八師団設置決定により北川端町から遊郭を移転させることになりました。

県令で「北横町及び同町字野田と田茂木町字山王」へ移転場所を決定。

和徳尋常小学校(明治7年創立)は遊郭移転問題が起きたために明治31年に代官町へ新築移転されました。その跡地は弘前魚市場となりました。

薬王院橋を渡った正面辺りです。



平成2年に地方卸売市場が城東に開設されて弘前魚市場は廃止。

弘前魚市場株式会社の建物等は鎌田屋に買収されたようです。

こちらの地図では薬王院門前の橋手前右手に愛宕神社、その裏手には墓所が見えますね。遊郭の裏と土淵川に挟まれた地域。

墓所(当時からの墓所とは限りませんが)はありましたが愛宕神社はありません。

これは何でしょう。


何か彫られていますが蔦が邪魔で読めず。

蔦をとろうとしましたが猫少佐が見張っていたのでできず。

向かいには東照宮境内の建物…

東長町へと向って鎌田屋商店。


更に近くには八木橋薬局や双葉屋などが昭和10年地図にも記されています。




ちょっと昔の写真をお見せします。喫茶ブルーベル付近。

文化センター近くになります。NHK弘前支局と三忠東長町分店の間くらい。


今はこんな感じです。改装はされていますが建物が残っていますね。

北横町方面に戻って、遊郭の地にあった月見橋。


昭和2年に遊郭から出火し、和徳町、南横町、萱町、植田町、代官町に至る438戸を焼く大火が発生。


昭和32年に売春防止法が施行されて遊郭は旅館になります。

現在は遊郭の痕跡は残っていません。でも噂では弘前市内には遊郭機能を持ち合わせた旅館が現存しているとかいないとか(笑)


山王町付近。この辺りは天気のいい日に散策するのがとても気持ちのいい場所です。

樋門から勢いよく水が出ていますが、ここを辿れば弘前城の濠です。二階堰(和徳堰)なんです。

大浦町から中央高校の横を通り、長坂町や笹森町を通り、東照宮の裏手を通ってここに注がれるわけです。

この東西にのびる二階堰は文禄3年(1594年)に開削され、この堰に架かる長坂橋が由来で長坂町と呼ばれるようになったと言います。北の二階堰と東の土淵川を利用した堀と言えます。

遠くに見える大きな塔。


山王町の市営住宅地の中にあります。

この付近は一帯が団地です。

東照宮の後ろ側は二階堰に架かる寿橋があります。現在の山王町地区は明治30年頃は遊郭でした。よってこの辺りは通称寿町と呼ばれていたそうです。橋の名前はその名残なんですね。

この橋を渡れば…ハフンハフンッって感じ?(笑)

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