板柳町文化財指定第一号史跡です。それだけ貴重な文化遺産です。

あの奥に家も僅かに見えるのですが北畠氏の子孫が現在も在住しており、非公開&立入禁止です。


館野越の居城は永禄元年(1558)、浪岡御所9代具運卿の弟・顕範が御所の西の守りとして築いたもの。

天正6年(1578)以降、一時は空城となり人々は古館と呼びました。


菅江真澄は夕顔関を経て、館野越の医者山崎元貞(山崎顕貞)を訪れています。館野越は昔は古館と呼ばれていたと記しています。

山崎氏の先祖は浪岡御所の北畠家で、大浦為信に滅ぼされた後、この古館に住み、津軽藩に配慮して北畠から山崎に改称したといいます。顕貞(顕甫・立朴)は藩医手塚玄通から医術を学び開業。寛政8年(1796)に藩校稽古館ができると数多くの書物を献納しました。

顕貞が菅江真澄を誘い入れた金恒徳の家も医者で、顕貞とはいとこ関係にあたる金佐次右衛門玄秀。菅江真澄は寛政元年(1789)から寛政9年(1797)の間に何度もこの家に立ち寄りました。これは薬草を採取してそれを旅の費用としていたことに関係が深いと言います。



山崎家は明治15年に改称して再び元の北畠となり、この地に住んでいるために立ち入り禁止です。現当主は第25代。

この地には当時菅江真澄が山からとってきた白タンポポや薬草などが植えてあり、現在も「真澄の白タンポポ」として大切に繁茂させていると言います。


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