八幡村。旧岩木町八幡。旧岩木町の八幡村にある八幡宮の紹介です。八幡村は東は蒔苗村、北は鼻和村、西北は植田村、南は門前村・五代村に接します。天文年間津軽郡中名字に八幡とあります。集落の南西に大浦城跡があり、同城は初め八幡城と称しました。当地は西浜、十三(北津軽郡市浦村)、東山根に至る駅路の基点であり要衝でした。弘前藩の惣鎮守八幡宮(現弘前市)が慶長17年まで当村の東北端にあり、村名の起りとなっています。平塚の八幡宮の草創は不詳ですが鼻和郡の鎮守でした。


かつての大浦城から見て北東に八幡宮があったために鬼門鎮護の鎮守社として崇敬社となります。

大浦光信が大浦城を築城した後、永正6年(1509)に再建。天文14年大浦為則が再建し、同18年焼失しましたが、天正18年(1590)火災にて焼失。新たに大浦為信が社殿を再建。

慶長17年(1612)に2大藩主信牧が居城を弘前に移す際、現在の弘前城の鬼門に遷宮し、弘前藩の総鎮守八幡宮となり、領内の寺社総取締の最勝院があたり塔頭寺院12ヵ寺が参道の両側に軒を連ねました。

旧岩木町の八幡村の跡地には八幡・賀田・鼻和の村民が再度八幡宮を祀り鎮守とし、誉田別命や息長足姫命などを御祭神にしました。



鳥居に面が2つ。

猿田彦と…

鬼?

いや、どことなくデスラー総統の雰囲気さえ持っています(笑)


狛犬等。

この狛犬さんとお馬さんは足が折れたのかな?



案内板より…

「八幡信仰の主神は誉田別命であり、その歴史は相当古く、貞観2年(860)九州宇佐より京都に王城守護神として勧請され、朝廷から深く崇敬されたことから、鎌倉時代に至って全国各地に勧請された。武神として信仰され、民衆にはお産の神として信仰が広まった。

この地の八幡宮草創の年代は不詳であるが、大浦城鬼門の守護神として尊崇され、慶長11年(1606)居城の弘前移転に伴い、弘前城守護神として田町に移転、その後、八幡、賀田、鼻和の部落民が鎮守として復社し、現在に至っている。」


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