本尊は毘沙門天。毘沙門堂は取り壊されており、本尊は堂宇内に祀るようになったといいます。これは唐糸が持っていたものを時頼が10倍の大きさに彫らせて寄進されたとの伝承を持ちます。もと耕春院末寺。
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山号の唐糸山は唐糸御前の伝説にちなむものです。但し、多くの資料では平福山としており、唐糸と称されたのは比較的新しい時期とも言われます。
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鎌倉期に北条時頼の愛妾で安東氏の娘唐糸は周囲の妾の妬みをかって藤崎町に逃げました。その後時頼廻国の折、唐糸はやつれてしまった自らの容色の衰えを恥じて柳の池に入水。それを聞いた時頼が唐糸供養のために平等教院という寺の跡地に臨済宗の護国寺を建立(はたまた唐糸が通っていた平等教院に墓を建立。後に護国寺へ改称。)。
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弘長2年開創、大学禅師開山としています。戦乱で荒廃した後に現宗派、寺号に改称。
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また、長勝寺並寺院開山世代調によれば弘長2年悩江泉和尚の開創、慶長年間に現在地へ移転した折、耕春院3世梅翁秀察が入寺し、彼を開山としています。
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なお、現在長勝寺が所蔵する嘉元年号在銘の梵鐘は元々万蔵院の前身である平等教院(護国寺・霊臺寺)にあったものです。嘉元4年(1306)の年号及び大檀那相州菩薩戒弟子崇演の鐘名があります。崇演は北条時頼の法名。藤崎城主季盛の名も刻まれています。
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万蔵寺跡地(藤崎町斎場)」の記事はこちら。
唐糸御前史跡公園(藤崎町)」の記事はこちら。
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