青荷橋の横にあるちょっとしたスペースに一の渡古里の碑(昭和63年10月)。

更に花壇のような場所の奥に何かの説明板が建っていました。


『一ノ渡遺跡。
この遺跡は、浅瀬石川ダムの建設に伴い、昭和57年に青森県埋蔵文化財調査センターが発掘したものです。遺跡は現在のダムの湖底に沈んでおりますが、全国でも珍しい配石遺構が発見されましたので、その一部を現在地に復元したものです。
復元遺構。
この配石遺構は、長さ14m、幅5m、大小の礫約600個を長方形に配列したもので、今から約3500年前の縄文時代後期に信仰や祭りを行なうために作られたものと考えられております。
なお、この遺構の復元は、社団法人東北建設協会の公益事業によるものです。
平成2年11月黒石市教育委員会』
この遺跡は、浅瀬石川ダムの建設に伴い、昭和57年に青森県埋蔵文化財調査センターが発掘したものです。遺跡は現在のダムの湖底に沈んでおりますが、全国でも珍しい配石遺構が発見されましたので、その一部を現在地に復元したものです。
復元遺構。
この配石遺構は、長さ14m、幅5m、大小の礫約600個を長方形に配列したもので、今から約3500年前の縄文時代後期に信仰や祭りを行なうために作られたものと考えられております。
なお、この遺構の復元は、社団法人東北建設協会の公益事業によるものです。
平成2年11月黒石市教育委員会』

配石遺構は102基あり、その並びは不規則だったそうです。配石遺構は組石、列石、集石、立石に区分され、組石遺構は2基あり、うち1基の底面からは土坑跡が発見されています。立石遺構は3基あり、いずれも比較的大きい石と棒状の石を組み合わせて並べたもの。その並びはストーン・サークルのミニチュア版といった感じで縄文巨石文化の一端を見ることができるそうです。また、ヒスイ製(新潟県青梅町のものと判明されましたがその交易・流通ルートは不明)の硬玉製大珠と呼ばれている装飾品なども発見されているそう。
って…一ノ渡遺跡は結局ダムの下ですかい!

で、復元遺構はいずこ??
って…もしや私の下ですかい!?

すいません。案内板読もうとする誰もが踏むと思います。
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コメント
コメント一覧 (2)
いつも気になりながら素通りしてた場所
今回解決しました(*^▽^*)
で、yukiさんに辿り着きました・・・
渡古里の碑の裏に刻まれた元住民のお名前に
感じること「大」でした( ̄▽ ̄)
いつも知らないを知るを教えてくださりありがとうね(^O^)/
yuki
が
しました