
御祭神は市寸嶋比売命、多紀理毘売命、多岐都比売命。




善知鳥神社は現在の青森市が昔、善知鳥村(※)と言われた頃、奥州陸奥之国外ヶ浜鎮護の神として、第19代允恭天皇(いんぎょうてんのう)の御世に日本の国の総主祭神である天照坐皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)の御子の三女神を、善知鳥中納言安方が此の北国の夷人山海の悪鬼を誅罰平定して此の地を治め、その神願霊現あらたかな神々を祭った事に由来。また、坂上田村麻呂の東北遠征の大同2年(807)に再建。
※善知鳥村と青森という地名の伝承は無関係であるとの有力説があります。善知鳥村という村落は史料解釈上では存在せず、鳴呼安潟という村落が沖館川河口部にあったという説があり(浪岡町史)。また、蜆貝川の河口部付近に青森という丘があり、これにちなんだという説があります。青森とは青い森ではなく津軽の方言である小丘との解釈あり。善知鳥村が青森市の地名伝承とされたのは『青森市沿革史』(明治42年刊行・編者葛西音弥)以降。



夏越大祓式…水無月の夏越の祓いする人は千歳の命延ぶいうなり。

社務所。


手水舎(平成14年新設)。

稲荷神社。


博労町の味噌製造家の村木喜四郎が養子の村木良助に製材業を経営させ稲荷神社の隣に工場を建設して以来、同敷地が稲荷神社の境内地を侵したというので、様々な噂が広がり、同工場はよく稲荷神社の日(10日)に火事が起きました。そのため、村木家では明治40年11月に善知鳥神社に移転奉納。



龍神宮。

安政9年6月に安方・蜆貝両町の漁師により、安方町有地に漁事繁栄祈願のため建立。

明治9年社殿新築、新安方町に遷宮後追年神社の経営困難により、明治40年9月に善知鳥神社境内に移転奉納。

猿田彦大神。

猿田彦命・月夜見命。

拝殿。



拝殿は昭和39年8月竣工。



本殿。


本殿は昭和30年10月に再建された明神造り。

本殿の灯籠。

4体の狛犬!?が支えています。


本堂裏手からも境内に入れるのですね。

本堂裏手には弁財天宮。

寛永18年4月建立と伝えられています。

水の神として漁業を守護し、音楽や芸能を司どる神、福財の神。

大きい亀やら小さい亀やらがいました。

もちろん石造。

結構リアル。

こちらは本物。

龍神之水。



御宝殿。

正徳5年(1715年)の御神輿(船橋清左衛門作)と、昭和62年善知鳥神社正遷座1180年祭を記念して購入された江戸御神輿(二之宮)が保存されています。

菅江真澄句碑(昭和32年)と謡曲旧蹟(謡曲善知鳥)。

真澄が当神社、又、この地を詠んだと伝えられる句の記念碑。

「うちなびく たむけのぬさもふりはへて こうごうしくも 見ゆるみず垣」
「のどけしな そとがはまかぜ鳥すらも 世にやすかたと うとう声して」


ライオンズ…じゃなく狛犬。

隣には明治44年(明治43年焼失の為)の善知鳥神社建築記念碑。

宮川翠雨書碑(平成2年)。

「夏雨の 青々と降る 古端渓」。

芭蕉翁句碑(文化9年)。伝承不詳。句碑の台座は昭和17年、芭蕉生誕300年記念として設しました。「名月や 鶴脛高き 遠干潟」。

増田手古奈句碑(昭和60年)。

「みちのくの 善知鳥の宮の 小町草」

青森郵便局創業の地記念碑(昭和47年)。かつて青森郵便局、青森市役所、青森警察署は善知鳥神社の境内にあったんですねぇ。

西南の役戦没者慰霊碑(死節碑)と海軍の碑。




うとう沼。

昔は安潟と呼ばれ、これに荒川・入内川が流れ込み、周囲5~6里(20~24km)あり、浪館・金浜・浜館等の集落に達する湖沼であった。

また、この潟に入る船はいかなる時化でも転覆を免れた為、善知鳥神社と共に漁師の崇敬の対象となっていた。

しかし横内城主堤氏が外敵を防ぐため、荒川の流れを変え、堤川に流した事により、次第に安潟は干上がり、干拓されていった。

その名残りが現在のうとう沼である。

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